「禍福(かふく)はあざなえる縄のごとし」
先週の「トットてれび」(5) 向田邦子の特集のような内容。
徹子さんが台本を読みながら、知らない言葉を作家の向田邦子に聞きに行くシーン。
トット「禍福(かふく)はあざなえる縄のごとし、これどういう意味なんですか?」
向田「人生は幸福の縄と不幸の縄、二つがよってあるようなものだ。つまり幸福の裏には必ず不幸がある。」
トット「幸福の縄だけでよってるっていうのはないんですか?」
向田「ないの」
と、きっぱり言い切る。
私はこの間 イシコに会って複雑な思いを抱えていたものだから 、心にしみた。
私の幼少期は、悲惨だった。
一つもいい思い出などない。
全ては母の離婚と、兄の暴力のせい。
高校生になってアルバイトをするようになり、学校以外の友人ができてから少しずつ好転していった。
東京に出て一人暮らしをするようになって、人生は自分で変えられると気づき、頑張って切り開いてきた。
それからは、わりに順調で幸せだったと思う。
母が離婚したので、父親や祖父母、親戚ともずっと疎遠。
失うものが最初からないので、気楽だった。
人は可哀相と思うかもしれないが、家族旅行や仲間で集まって楽しむ習慣がないので、
それが無くなっても悲しいとは思わない。
すっかり不幸に対しての耐性が出来てしまったのだろう。
イシコは子どもの頃から、年に数回海外旅行をしていた。
40年くらい前なのに、ハワイやグアムに頻繁に足を運んでいた。
モデル時代は男からいつもチヤホヤされ、街を歩けばスカウト、ナンパ。
親のお金で、エステサロンでも開こうかな、などと言っていたのが、27年くらい前。
ずっとそんな 普通の人には手が届かない、華やかな人生だとばかり勝手に想像し、
ただの主婦に収まった私なんかとは、もう世界が違うと思い込んでいた。
親しい身内の不幸。高齢の母親を一人で見なければならない。長男である弟は遠方にいる。
せめて結婚していれば、旦那や子どもの協力も得られるだろうに…。
唯一、資産家であるということだけが救いだ。
イシコの絶頂期は間違いなく20代前半、幸せだったと思う。
私はそんな恵まれたイシコが羨ましくて仕方なかった。
今はイシコが、この私を羨ましがっている。
「禍福」=わざわいとしあわせ。「禍福はあざなえる縄のごとし」(幸福と不幸は表裏一体で、代わる代わる来るものだ、というたとえ) (ことわざ辞典より引用)
でも、向田邦子は徹子さんにこう言った。
「徹子さんの縄は、幸福ばっかりであざなってあるのかもしれない。」
そんな人生もあると信じたい。
↓イシコの記事
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