教育ママ
夏休みは、どこの家でも一日中子どもがいて大変だと思う。
私は、夏休みといえども学校の送り迎えがある。(部活)
小学生と中学生、部活の開始時間や練習日が異なる。
そして塾、小学生と中学生、これまた日にちも時間帯も場所も違う。
部活と塾の組み合わせ、間違わないように色分けして把握する。
そして習い事、これまた夏休み仕様、いつもより開始時間が早い。
私の日常は終始、子どもの送り迎えと言っていい。
結婚前、出産前、こんな生活などまったく予想していなかった。
子どもが高校卒業するまで続くのかなこの生活。
もうここ10年くらいずっと送り迎えしている。
あと7年、57才まで?!
自分が選んだ事とはいえ、生活のほとんどを子どものスケジュールに合わせ、サポート役に徹する。
上の子が中学生になってからは、夕食の前後に勉強をみている。
何もしなくても秀才という子もなかにはいるだろうが、うちの場合は、自力で出来るように道をつけてやらないと駄目だ。
ずっと、サポート&フォローしている。
塾や家庭教師に任せっぱなし、というのは嫌なので、ある程度本人の実力と適性、得意科目などを把握したい。
未成年の子が事件を犯した時、ニュースなどでは、
「親は教育熱心で有名だった」
とか
「勉強やしつけに厳しかった」
など、知人の証言を取り上げることがある。
もし息子が何かやらかしたら「あの奥さん、教育ママだった」そんな風に言われるだろう。
でも有名選手や偉人などは、やはり親が教育熱心だったり、子の才能に情熱的だったりすることが多い。
「すごい!」と感じる人が多い。
子育てを通じて、人間力を試されている気がする。
子どもが思うように育たない時、「もっと工夫をしろ」と言われている気がする。
子育ては難しいし、辛いことも多い。
でも、育てる喜びもある。
以前ここで書いた
「禍福は糾える(あざなえる)縄のごとし」
人生には、不幸と幸福が縄のようによってできている、という意味らしい。
子育ても「喜び」と「忍耐」、相対するものが交互によりあっている気がする。
そんな風に思わないで、生きていける人もいるだろうけど、私はそんな風にしか生きられない。
だから病気になったのかな。
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