6年ぶりに会ったママ友
上の子が幼稚園の時のママ友(子どもの学年はちがう)に、6年ぶりに会った。
一つ前に書いた「好きになれない人」(→以後、医者夫人なので「夫人」に変更)にちょっと強引に頼まれて、ガーデニング教室にビジターで参加したら、そのママ友が生徒さんの中にいた。
私はまったく気がつかなかったけど、向こうが気づいて声をかけてくれた。
そのママ友と最後に会ったのは、お子さんのお葬式。小学校二年生で交通事故で亡くなったのだ。
幼稚園は卒園していたけど、別の
ママ友から連絡が来てお通夜に参列した。
とても悲しいお葬式で、たぶん今まで参列したお葬式の中で一番泣いたつらく悲しい式だった。
今でも思い出すと切なくて、ときよりYさん元気かなぁ、など気になっていた。
久しぶりに会ったYさんは明るくて以前のままに思えた。
私は今のお友達は、Yさんの悲しい過去の事を知らないかもしれない、と思い慎重に言葉を選んだ。
ガーデニング教室では、近況などを報告しあい、当たり障りない会話をした。二人きりの時だけ、私にしかわからない話をしてくれた。
教室を後にするとき、
「つつじさん、またね!」と笑顔で手をふってくれた。
Yさんは仕事をしたり、趣味を広げたり、毎日忙しくしているようだった。
よかったな、と思った。
またガーデニング参加しようかな、と考えていた時、LINEが来た。「夫人」からだった。
「夫人」は、Yさんの事を聞いてきた。どういう知り合いなのか、私の子と同じ年のこどもがいるのか、大変だったらしいけど何があったのか、など。
私は、お子さんの事はふれず、「幼稚園で知り合ったけど子どもの学年は違う」とだけ答え、話をそらした。
でも「夫人」とは、役員の打ち上げで、今度会うことになっている。
Yさんのいない所で、あれこれYさんの事を聞いてくるような気がする。
もちろん答える気持ちはない。
辛い体験をして頑張って前を向いているYさん、興味本位?で人が隠していることを聞き出そうとする「夫人」には、本当のことはいいたくない。
Yさんと「夫人」は二年ちかい付き合いだという。それでもこどもさんのことを言ってないのだからYさんなりに考えてのこと。
ましてや夫自慢、こども自慢、幸せオーラいっぱいの人には、言えるわけない。
ガーデニングは楽しかったので、次回も参加したいと思うけど、Yさんは、私がいたらいやだろうか、と考えたり、いや、事情を知っている人がいたら本心を言う機会があって、自分を作らなくていいのではないか(もちろん二人だけの時)と、思ったり。
人には光と影があり、表面だけで判断してはいけない。
自分の周りの人が自分と同じような人生であったとは限らない。
人生の折り返し地点を過ぎた私は、出会った人が自分には想像もつかない壮絶な過去があったかもしれない、と思いながら話をしよう、と思った。
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