悲しかったこと
コメダ珈琲のグラタンは、むかーし母が連れて行ってくれた喫茶店のグラタンの味と似ていた。
その店の佇まいは、純喫茶風でドアは木製の重い片扉。通りには、uccと大きく書かれた 電気が点灯する看板があった。
初めてそこで食べたのは、マカロニグラタン。
注文してから15分くらいだろうか、ペコペコのおなかでじっと待った。
器の内側についたソースがフツフツと、まるで小さな噴火のように湯気の煙を吐いていた。
ふーふぅ言いながら、やけどしないように用心深く少しずつ口に運ぶ。
年に一度か数年に一度、母が用事があって町までついて行ったとき、運が良ければ食べられるしろものだった。
カレーやサンドイッチ、ピラフ(焼き飯)などを注文するとしかられる。
「そんな、家で食べられるの頼んでどうすんの? 家で作れないのを頼みなさい!」
どれを選んでも却下、結局家にはオーブンがなかったので、グラタンならOKということになり、そのレストランでは必ずグラタンだったのだ。
私にとっての外食=uccのグラタン。
私は、自分でグラタンを作るとき、頭の中にはあのuccのグラタンがどこか基準としてあり、そこに味が近づいていれば「おいしい」少し離れていたら失敗、そんなお手本のようなメニューだった。
先日、母親が息子の誕生日のため、家に来たので、翌日「あの思い出のグラタン」を食べさせてあげようと、コメダ珈琲に行った。
食意地がはった母は、白内障でろくに見えないのにメニューを隅から隅まで、舐め回すように見る。
そして決まって
「目が見えんけん、何書いとるかさっぱりわからん!」
(大きな写真なんだけど…。)
「この前食べたグラタンが私には懐かしい味がして、おいしいかったからグラタンにしたら? 量もほどよいし…」
母は、ちょっと不満げだったけど、それでいいといった。
私は、シェアするつもりで、カツサンドとコーヒーを注文。
カツサンドが先に来たので、一切れ手にとって「食べる?」と聞いた。
「食べる!」
無言でモクモクと食べる母。
「サクサクしておいしいね」
と私。
「サクサクしておいしいね」
と母。
母のグラタンが来た。
いつものように少し(1/3ほど)私の皿にのせる。(糖尿なので量を食べてはいけないため)
「ここのグラタン、チーズが柔らかくて一口ごとにトローっと糸ひくんよ。多分チーズがいいんやろうね」
と私。
「このグラタン、チーズが良いんやろうね、一口ごとに糸ひくね」
と母。
私が言った台詞が頭に入ってすぐ忘れるのか、最近の会話といえば、いつもこんな感じ。
私の言葉をそのままオウム返しに自分の言葉のように言う。
老化現象か。
そして、
私「このグラタン、昔お母さんが連れていってくれたuccのに似てない? 懐かしいなと思って、お母さんに食べさせようと思って連れてきたんやけど」
母「覚えてないねぇ」
私「えっ、あれだけ何回も行ったのに! ○町よ、uccの看板があったやん?!」
母「全然 覚えてない。このグラタンおいしいね」
また一つ、私の大切な思い出が消えた。
私が10才くらい、母が40 才。母が外食に連れていくことなんてめったになかったから、とても嬉しくて、ブーツやワンピースなどの一張羅を着て出かけた。
母にとっては、何ともない事でも、当時の私はとても嬉しかったのだ。
今の今まで、母もその楽しかった思い出を共有していると思っていた。
昔の事を話すと、そんな昔の事覚えてない、と一蹴される。
数日前の事をいっても覚えてないという。
数えるくらいしかない、私と母とのいい思い出は、私の単なる勘違いだったのだと気づかされる。
もう、いい思い出も悪い思い出も母とは語りたくない。
独りよがりでいいから、私が美化していたであろう思い出も これ以上、変に上書きされたくない。
こんな年になっても、いつも母が放つ一言「覚えてない」は胸に刺さる。
その一言は、今までの私の苦悩が価値のないもの、と烙印を押されたような気になる。
この負の感情の連鎖は、繋げてはいけない。自分の子が大人になった時、楽しかった記憶は私もきちんと覚えておきたい。
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