30年の空白ーその後
イシコから電話があった数日後メールが来た。
参照⇒30年の空白
忙しいのでまた連絡する、との事だった。
私は、空いてる日を書いた。
突然イシコから、「今週末はどうか」とメールが来た。
ちょうど、旦那さんが泊まりがけで一人で実家に帰る日だったので、OKの返事をした。
そして27年ぶりに再会を果たした。
若い女の子に特殊メイクでシワやシミを作ったのかと思うくらいにイシコの面影はそのままだった。
体型もややふっくらしたかな、という程度、相変わらずキレイだった。
ただファッションセンスには、かなりの落差がありびっくりした。
モード雑誌を切り抜いたようなブランド一色だったかつてのイシコとは違い、
スーパーですれ違う、風景と一体化した中年の女性、レジを打っていてもおかしくない雰囲気。
ただ指には、宝石がちりばめられた指輪が数本、ヴィトンのウォレットを小脇に抱えていることだけが、唯一イシコを証明していた。
私は、イシコが独身を謳歌し、結婚以外の全ての欲望を満たしていると思い込んでいたために、
普段の5割り増しくらいに着飾って行った。
かつてのイシコに釣り合うように…。
肩透かしだった。
イシコは、数々の苦難の最中だった。
数年前に、父親を、そして去年妹を亡くし絶望の淵にいる母親を一人支えながら、精一杯頑張って生きている感じだった。
父親の会社を継いで女社長でもしているのかと思ったが、意外にも派遣やパートをしながら
やっと、小さな今の会社の正社員になれたようだ。
かつての華やかなイシコからは想像できないほど、平凡な人生のようだった。
イシコはしきりに私が東京から戻ってきてからの仕事や旦那との馴れ初めなどを聞いてきた。
27年の空白を埋めようとしているかのようだった。
予想外だったのか、次第にイシコは
「夕暮れは幸せだよ」
を繰り返し言うようになった。
「結婚してたって、10年以上経つとほとんど同居人だよ」
「やっかいな親戚がまた一かたまりふえるんだよ」
「子どもが巣立ったら、離婚するかもしれないよ」
そんな本音が入り混ざった愚痴を言っても、なんの慰めにもならなかった。
血縁が次々と世を去り、子どもの成長という希望もなく、苦しみや楽しみを分かち合うパートナーもいないイシコには、
自分を主とする家族がいる私を心から羨ましく思っているようだった。
私も、結婚してからは、独身や子どもができなかった友だちとは疎遠だ。
自分がかつて独身だったころに味わった、他人の幸せ自慢オーラ。
勝ち組の優越感。
私もいつかは、そっちへ行きたいと思っていた。
イシコは私が貧困に喘ぎ、子育てと仕事に追われ親の介護に忙殺されていれば満足だったのだろうか。
「また、飲みに行けるといいね」
と私が言ったが、
「お母さんが精神的に不安定で、あまり夜一人にしておけないから、当分は外出は出来ない」
と言った。
今日は、どうしても私に会いたかったので、2時間だけ都合をつけて来た、という。
やはり妹の一周忌が終わるまでは、落ち着かないだろう。
今までは、同居だった妹が夕飯を作ってくれていたらしいが、
おそらく今は、イシコが苦手な料理を作っているのだろう。
私だって、自由になる時間もお金もない。
また飲もうねと言ったっていつになるか、予定は未定。
結婚する自由、しない自由。
子ども産む自由、産まないという選択。
すべて自分の判断。
ただ、いずれの場合も後悔のないように生きていきたい。
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