夕暮れ日記

専業主婦。
やらなきゃいけない事は山盛り。なのに気つけば夕暮れ。
12 才の長男は発達障害グレーゾーン。やり場のない思いをボチボチ綴っていきます。

悲しかったこと

コメダ珈琲のグラタンは、むかーし母が連れて行ってくれた喫茶店のグラタンの味と似ていた。


その店の佇まいは、純喫茶風でドアは木製の重い片扉。通りには、uccと大きく書かれた 電気が点灯する看板があった。


初めてそこで食べたのは、マカロニグラタン。

注文してから15分くらいだろうか、ペコペコのおなかでじっと待った。

器の内側についたソースがフツフツと、まるで小さな噴火のように湯気の煙を吐いていた。


ふーふぅ言いながら、やけどしないように用心深く少しずつ口に運ぶ。



年に一度か数年に一度、母が用事があって町までついて行ったとき、運が良ければ食べられるしろものだった。


カレーやサンドイッチ、ピラフ(焼き飯)などを注文するとしかられる。

「そんな、家で食べられるの頼んでどうすんの? 家で作れないのを頼みなさい!」


どれを選んでも却下、結局家にはオーブンがなかったので、グラタンならOKということになり、そのレストランでは必ずグラタンだったのだ。


私にとっての外食=uccのグラタン。


私は、自分でグラタンを作るとき、頭の中にはあのuccのグラタンがどこか基準としてあり、そこに味が近づいていれば「おいしい」少し離れていたら失敗、そんなお手本のようなメニューだった。


先日、母親が息子の誕生日のため、家に来たので、翌日「あの思い出のグラタン」を食べさせてあげようと、コメダ珈琲に行った。


食意地がはった母は、白内障でろくに見えないのにメニューを隅から隅まで、舐め回すように見る。


そして決まって

「目が見えんけん、何書いとるかさっぱりわからん!」

(大きな写真なんだけど…。)


「この前食べたグラタンが私には懐かしい味がして、おいしいかったからグラタンにしたら? 量もほどよいし…」


母は、ちょっと不満げだったけど、それでいいといった。


私は、シェアするつもりで、カツサンドとコーヒーを注文。

カツサンドが先に来たので、一切れ手にとって「食べる?」と聞いた。

「食べる!」

無言でモクモクと食べる母。


「サクサクしておいしいね」

と私。


「サクサクしておいしいね」

と母。



母のグラタンが来た。


いつものように少し(1/3ほど)私の皿にのせる。(糖尿なので量を食べてはいけないため)


「ここのグラタン、チーズが柔らかくて一口ごとにトローっと糸ひくんよ。多分チーズがいいんやろうね」

と私。


「このグラタン、チーズが良いんやろうね、一口ごとに糸ひくね」

と母。


私が言った台詞が頭に入ってすぐ忘れるのか、最近の会話といえば、いつもこんな感じ。

私の言葉をそのままオウム返しに自分の言葉のように言う。


老化現象か。


そして、

私「このグラタン、昔お母さんが連れていってくれたuccのに似てない? 懐かしいなと思って、お母さんに食べさせようと思って連れてきたんやけど」


母「覚えてないねぇ」


私「えっ、あれだけ何回も行ったのに! ○町よ、uccの看板があったやん?!」


母「全然 覚えてない。このグラタンおいしいね」


また一つ、私の大切な思い出が消えた。


私が10才くらい、母が40 才。母が外食に連れていくことなんてめったになかったから、とても嬉しくて、ブーツやワンピースなどの一張羅を着て出かけた。


母にとっては、何ともない事でも、当時の私はとても嬉しかったのだ。

今の今まで、母もその楽しかった思い出を共有していると思っていた。


昔の事を話すと、そんな昔の事覚えてない、と一蹴される。

数日前の事をいっても覚えてないという。


数えるくらいしかない、私と母とのいい思い出は、私の単なる勘違いだったのだと気づかされる。


もう、いい思い出も悪い思い出も母とは語りたくない。


独りよがりでいいから、私が美化していたであろう思い出も これ以上、変に上書きされたくない。


こんな年になっても、いつも母が放つ一言「覚えてない」は胸に刺さる。

その一言は、今までの私の苦悩が価値のないもの、と烙印を押されたような気になる。


この負の感情の連鎖は、繋げてはいけない。自分の子が大人になった時、楽しかった記憶は私もきちんと覚えておきたい。











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