母の日の悲しい思い出
小学三年生くらいだっただろうか。
近くに住むクラスメートに誘われて「母の日」のプレゼントを買いに行った事がある。
バスに乗って駅前のデパートへ。
学校の帰りに、
「これからお母さんへのプレゼント買いに行こう!」と突然誘われ断りきれずに「うん」と言ったもののお金もないし、それまでそんな事をした事がなかったので、戸惑った。
とりあえず貯金箱をひっくり返して小銭を取り出した。
500円あるかないかだった。
友だちとバスに乗り、デパートへ着いた。
友だちは、貯めていたお年玉を持ってきたのか、財布の中にはお札が何枚か入っていた。
私は、というと、バス賃を除いた450円くらい。
友だちは先生に可愛がられる利発な優等生タイプ、デパートについたらすかさず店員さんを呼び、予算やら希望を言い始めた。
私は、少し離れて、あたかも付き添いのようだった。
友だちは、レースが施された高級そうな花柄のハンカチを選んだ。
「お箱にお入れしますか? 箱代かかりますけど」
「はい、お願いします」
「あれ、つつじちゃんは? 買わないの?」
私は、予算が400円しかないことをさとられまいとして、
「買うよ」
そう言って、一人でハンカチ売り場へ行った。
どれにしようかと、ハンカチを手に取り値段を見たら、どれも500円以上。全然足りない。
もっと安いのがあるはず。
棚の隅を片っ端から見ていると、ガーゼのハンカチがあった。青と黄色の2種類。黄色にした。350円だった。
心の中で、
「お母さん ごめん」
(お年玉使ってしまって、貯金してなくて、一番安いのしか買えなくて)
帰りのバスの中で私は、恥ずかしさと悔しさ、悲しさでいっぱいだった。
お友達のは、丁寧に包装され、リボンまでかけられた箱入り、いかにもプレゼントらしい小さなデパートの紙袋に入れてもらっている。
私のは、デパートの包装紙で簡単に包んだだけ。
私の頭には、友だちが買ったレースの花柄ハンカチがよぎった。
なんだか 友だちのお母さんと自分のお母さんに優劣をつけられたようでとても悲しかった。
子どもながらに「貧乏」をかみしめた。
そして、母に「これ、○○ちゃんと一緒に買った母の日のプレゼント」と言って渡した。
母は「ありがとう」といって、すぐに開封し喜んだ。
その嬉しそうな様にまた胸が締め付けられた。
(本当は私だって、箱入りのきれいなハンカチをあげたかった。こんな安っぽいガーゼを喜ぶなんて)
その出来事、私が感じた「お金がなかった」恥ずかしさは、今思い出しても顔が真っ赤になる。
そして、母の日にあげたガーゼのハンカチは、というと、なんとあげてからすぐに、母がトイレで用を足している時、便器に落として流してしまったという。
いかにも母らしい。
でも、本来なら悲しくなるところだけど、逆に私はホッとしたのだった。
もうあのハンカチをみなくてすむ。
嫌な事 思い出さずにすむ。
久しぶりに思い出した。やっぱり切ない。
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