悪魔のささやき
姑の事を「主人の」母、と呼ぶ知人がいる。
以前はそれが、あまり意味のある事だとは思っていなかった。
でも、よくランチに行くようになってから、姑の事を嫌っていて、心の底からそう呼んでいる事が分かった。
姑という響きには、まだ身内的な繋がりを感じる。が、「夫の」とか「主人の」とかいう枕詞が付くと
とたんに他人事になる。
その知人は、メールの文面にしても、必ず「主人の」母が入院したので…。という風に、書き言葉ですら枕詞を添える。
義母とか母とか、おばあちゃんとか、そういう表現はしない。
あくまでも、同居している年配のご婦人は、配偶者にとっての「母」であって、自分自身には無関係、といいたげ。
私も気を遣って、「『ご主人の』お母さんの具合はどう?」などと、気分を損ねないようにしていた。
新婚さんの時からずっと同居で、チクチク嫌味を言われ続けたら、その蓄積ははかりしれない。
そのご主人のお母さんが昨年亡くなった。
「『おめでとう』でいいのかな?」
「いいよ、おめでとうメールいっぱい来たよ」
嬉しそうだった。
ご主人のお母さんが危ない、という時期に娘さんは入籍した。
まだ生きているのに衣類の処分をし始めた。
喪中だから結婚式は延期かな、と思ったら半年後に盛大な式を挙げた。
おばあちゃんが生きているうちに花嫁姿を…的な発想はなく、待っていた感じ。
よっぽど恨みがあったのだろう。
自分に置き換えてみた。
やっぱり私も、旦那さんの親は他人。
義母は既に他界していて、72才になる旦那さんの父がまだ生きている。
妻に先立たれた夫の大半は妻の7回忌を迎える前に亡くなるか、余命が30%位短くなるという。
義母が亡くなったのは9年前、おそらく13回忌も義理父が張り切って盛大にやるだろう。弱った形跡はない。
帰省のたびに、子離れしていない者と親離れしていない者達の「わたしの知らない世界」を見せつけられる。
そろそろ あのオヤジの誕生日と父の日がやってくる。
毎年 電化製品やゴルフグッズを要求される。
万単位の出費。子どもをあてにしている。
私たちの子ども(孫)には、年玉1000円さえももったいぶって名残惜しそうに渡すくせに。
入学祝いも誕生日祝いもクリスマス祝いももらったことがない。
何一つ自分からは与えず、もらうことばかり考える義理父。
そんな人を心から尊敬している旦那さん。ある意味、洗脳に近い。
親と子どもと私が溺れていて、一人しかボートに乗せられないとしたら、
旦那さんは、間違いなくオヤジを乗せる。
「死神は木枯らしと共にやってくる」というが、残念ながら この冬は来なかった (u_u)…。
もう新芽の芽ぶく過ごしやすい季節になってしまった。
まだ夏も来てないのに、早く木枯らし来ないかな、と私の中で悪魔がささやく…。
このブログへのコメントは muragonにログインするか、
SNSアカウントを使用してください。