人間関係を一掃する
子どもの頃はお友だちを作るのが苦手でした。
近所、ということで登下校が一緒になる子がお友だち、という解釈でした。
でも、中学生くらいからは、部活の有無などにより、近所の子が必ずしもよく遊ぶ子ではなくなりました。
クラスでは、比較的タイプの似た子同士、居場所がないのでただ群れる、という感じでした。
私はだんだんと孤立していき、人といるのが面倒になりました。
高校でも同じような感じでした。
一人でいい、そんな感じでした。
やがて社会人となり、初めて本格的な人間関係を作っていく体験をしました。
学生時代にあまり友達がいなかったので、戸惑いましたが、社会は共通な話題が多く、好きな音楽の話とか、会社の不満、ネタはいくらでもあります。
学生時代とは違い、人と話すのが苦ではなくなりました。
そして、徐々にコミュ障も改善されました。
30~40代前半は「嫌だな」と思う人がいても、少し距離を置く、とか 少し「避ける」というソフトな対応で乗り切ってきました。
でも、もう50代、少し違うな、と感じる人は、明らかに私より若い人です。
これは、ジェネレーションギャップからくるものでしょう。
もう、合わないです。
考え方も違うし、口の効き方も、一緒にいると不満が爆発します。
おかれた立場の上下関係がありますから、若い人にも敬語、絶対服従みたいな主従関係になると、これはもうストレスの塊、病んでしまいます。
ここ最近のつらさ、はこれだと思います。若い時は、年上の上司や先輩は当たり前で、めんどくさい人でも、自分は今勉強中だから、修行の身だから、となんとか耐えられました。
でも、今の悩みは、自分よりも気配りのできない、気の利かない無能と思える人たちから、指示や命令をされることです。
「自分なら、もっと効率よくできるのに」
「こう変えれば、経費削減できるのに」
などと、経験値からアイデアが浮かびます。
でも、その私の提案を「なんでもいってね」の先輩の言葉どおりに言うと、今までの自分の無能さが露呈してしまうと思うのか、「それはね、…」とはっきりと私の提案を否定します。
仕方なく、超効率の悪いやり方をせざる終えません。
効率の悪い大変なやり方をするのは私です。
そんな感じで、ストレス爆発します。
ほんとに爆発はしません。
「失礼しまーす」
去ります。
二度と関わりをもちません。
こうして、どんどん人間関係を切っていくのは、どうなんだろう?とふと立ち止まることもありましたが、
いいんです。
自分にとってストレスをもたらす相手なら、切り捨ててかまいません。
ネットで「ほりえもん」の記事を少し読みました。
ほりえもんの言葉を借りるなら、愚痴を言う相手は「まずい残飯」だそうです。
まずい残飯を「まずい」「まずい」と言いながら食べている状態、ほりえもんはいいます。まずいと言いながら食べるのなら、投げ捨ててしまえ!
そうです。
私は、何もしないで、人の残飯を食べ「まずい」と言っていることに過ぎません。
何もしないで、人から残飯を与えてもらう状況がいけないのです。
自分でおいしいものを作ればいいのです。
自分でそこから抜け出すことができたなら、もう「まずい残飯」を無理して食べる必要はありません。
愚痴が出始めたら、「あ、またまずい残飯たべはじめた」と意識し、環境を変えることがストレスからも解放される方法だと思いました。
環境を変える、今までの付き合いを絶つ、これは、難しいけれど、とても生きていく上では自分を守る大事なことです。
そうやって、おばさんたちは強靭なメンタルを手に入れていくのでしょうか。
スーパーおばさん目指します。
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