本部役員辞退 その後
前回のブログ←あと一日 から少し間があいてしまいました。
役員会議の前々日は、逃げたいくらい嫌で胃がキリキリと痛く、熱や頻尿、食欲不振でほぼ病人でした。
でも、前日は「まな板の鯉」
夜が明ければバタバタと準備し登校するだけです。
朝はお弁当を作って子どもたちを送り出した後、前日に用意しておいたスーツを着ました。
顔を洗って髪をセット、化粧する時間がもったいないので、一通りの化粧品をバッグに入れ8時前には家を出ました。
通勤ラッシュ時なのでどの道を選んでもこんでいます。
会議は10時からですが、9時半集合です。
私は9時に学校近くに到着、近くのパーキングに停車しメイク開始。
メイクを終え、9時20分に校内に到着しました。
なんせ最後にトイレに行ったのが7時半くらいですからトイレに行きたくて。
行きそびれたら会議が終わる昼まで行けません。
車を停めたらトイレへ一直線!
些細なことですが、遠方から来る私には負担です。
会議は、少し早めに始まりました。
まず男性の会長がすぐに
「つつじさん、会議の前にお話ししておいた方がいいでしょう」
と挨拶を促してくれました。
私は、着席早々に起立し、辞退したい旨話しました。
会長は、
「つつじさんは、実質今日までのお仕事、ということで、お疲れさまでした」
締めてくれました。
そして、学校関係者や女性の役員が私の辞退に言及しないようにするためか、すぐに本題の会議に移りました。
会議は無難な感じで落ち着き、わざわざ何人も集まってやる話ではないな、とつくづくこの会議の重要性に疑問を持ちました。
女性役員の長だけにしか、私が辞退する話はしていない、という男性会長の話でしたので、女性本部役員二人は、寝耳に水だったと思います。
会議が終わり、駐車場で少し立ち話をして、
「お世話になりました。これからは母の介護を頑張ります」
ということで特段会話もなく、すぐに解散となりました。
私以外の女性3人はランチに行ったかもしれませんが…。
本部役員の女性に「介護」経験者はなく(当然ですが)、「親の介護」というワードを出せば「私の知らない大変な世界」と解釈したようです。
実際私も高齢の親を初めてみるので、どんなことになるか未知ではあります。
が、そこは公的サービスや病院などのサポートでいまのところ何とかなりそうです。
幸い介護している友人もいますので、色々とアドバイスももらえます。
でも本部役員は私の代わりはいないので、絶対私がやらないといけません。
私にとっては、PTAの本部役員よりも親の介護の方が断然マシです。(現段階では、まだ母は要介護1なので)
実際、まだ本格的に介護がスタートしたわけではありません。
母は、脳の外科手術を受け、経過を見て支援を受けながら一人暮らしの予定です。
幸い医者の見立てでは、手術によってかなり回復が見込まれるそうですので、もしかしたら以前より元気になるかもしれません。
役員辞退の理由として「母の認知症と介護」を使いましたが、結果的に「怪我の功名」で、早期治療が実現しました。
前々から母の認知機能に問題があると思っていましたが、なかなか実害もないので、延ばし延ばしになっていた認知症の精密検査。
今回「既成事実」を作るためといって、詳細に検査を受けることができました。
これはとても大きな収穫だと思います。
今回 私が一歩踏み出した事によって結果オーライでした。
本部役員は深入りせずに早い段階で抜け出せたので本当に自分でもよくやった、と思います。
このまま、いやいや続けていたら「うつ」が悪化し、入院となる日も近かったと思います。
それはそれで辞退の理由になりますが、「つつじさん役員やって『うつ』になったってよ」という噂が立てば、一層本部役員のなり手がいなくなります。
ずっと恨まれます。
悩まされていた胃炎と下痢は、嘘のようにピタリと治りました。
料理や掃除などのやる気も復活しました。
あと六年役員をする恐怖から比べたら、普段の生活はなんでもない平和な日々です。
穏やかな日常が戻ってきて、とても今は幸せな気分です。
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