※前編のつづきです。やや衝撃的です。興味のない方はスルーしてください。
トイレに人影を見つけ、私は、血の気がひいた。
兄に殺される。
私たちを殺すためにやつが帰ってきた。
ほんとに殺すか殺されるか、なのかもしれないと思った。
母に兄がトイレに潜んでいることを伝えた。
二人で手をとって泣いた。
とにかく兄をこの家から連れ出さなければ。
そのときほど、時間のたつのが長く感じたことはない。
たぶん2、3時間。
母が、児童相談所に電話して「子供が勝手に帰宅している。どうしてきちんとみていてくれなかったのか」と訴えたら「自宅と児相はかなり距離があるので脱走するとは思わなかった」と悠長だった。
家の中にある危険そうなものを庭のすみに隠した。
トイレの前に行き、母が声をかけた。
「○○ちゃん(兄の名前)、いるんでしょ、出ておいで」
しばらくして兄が出てきた。
髪は坊主頭の毛が伸びきってボサボサ。
まぶたは泣きはらして腫れ、目は真っ赤だった。
頬には、涙のあと。
口は真一文字に歯を噛み締め、ずっと前をにらんでいる。
本当に怖い顔だった。
私は、なんで兄が泣いているのかわからなかった。
そして、兄はついに強行手段に出た。
泣きじゃくりながら、
「なんで相談所に言った? 俺を捨てたんか!」
と怒鳴りながら、ガラスの障子を素手で割った。
ガラスの破片を手に持って、母を睨みつけていた。刺そうとしているようにみえた。
私はそのとき、常に刃物は隠していたけどガラス窓の撤去をしていなかったことを悔やんだ。
私は、母が殺されると思い、慌てて裸足で外へ飛び出し助けを呼んだ。
大声で
「お母さんが殺される!誰か助けて!警察を呼んでください!」
泣きながら何度も何度も。
すぐ近所の人がきて、110番してくれた。
離れを貸していてくれた人が家に来て、ガラスの破片を握りしめた兄の手からガラスを取り上げ、その辺にあったタオルで兄の血だらけの手に巻いた。
近所の人がどんな言葉を兄に投げかけていたのかほとんど覚えていない。
(そんなことしちゃだめ、とか、たった一人のお母さんじゃないとか、そんなありきたりだったと思う)
私は、恐怖を感じながらも、家族以外の人がいてくれることにとても安心した。
兄は典型的な内弁慶なので、他人がいるときっと感情を押し殺すはず。
でも、兄は駆けつけた近所のおばさんに
「うるせえ、ばばぁ、出ていけ」
と言っていた。
(兄の声が小さかったのでおばさんには聞こえていなかったと思う)
やがてパトカーのサイレンの音がして、警察官が数名わっと入ってきた。
二人くらいで兄を羽交い締めにして連れて行った。
兄は激しく抵抗し、泣きながらわめき散らしていた。
「なんで?なんでそんなことするんか!やめろ!」
母に対してだと思う。
それから兄は、脱走できないほど遠い児童相談所へあずけられ、そして県外の少年更正施設に移送された。(主に非行少年のための施設、少年院の前段階)
自宅からおよそ100km。
その日から母と私だけの穏やかな生活になった。
それから兄が退院するまでの三年間、私は一度も兄には会わなかった。
母は月に一度面会にいっていた。
専門家の指示で、私には会わせないようにと、言われていたと後で聞いた。
兄が帰りたくなるのと、なんで自分だけここに置き去りなのか、と更正の妨げになると判断したようだ。
その更正施設はとても素晴らしいところだったようだ。
つづく。
.