夕暮れ日記

引きこもり主婦です。メンタル弱めです。やらなきゃいけないことはたくさんあるのに、何もできないまま気づけば夕暮れ。そんな日々の徒然日記。(コメント欄は開けたり閉じたりします<(_ _)>)

専業主婦。
やらなきゃいけない事は山盛り。なのに気つけば夕暮れ。
18才の長男は発達障害グレーゾーン。やり場のない思いをボチボチ綴っていきます。

夫の父も高齢ドライバー

夫の父は車のメーカー勤めだった。

なので、現役中はいつも新車を会社から貸与され乗っていた。


退職したら車は貸してもらえないので新車を購入した。(10年前)


まだ買って間もないころ、年末に帰省したら、ツーリストワゴンタイプの後ろのハッチが縦に凹んでいた。


まさか電信柱にバックでぶつかったとか?!

それだとバンパーのキズだけですむはずか。


「どうされたんですか?」

と聞いたら、


トランクのドア(ハッチ)が開いてるのを気づかずバックで車庫入れしていて壁にぶつかって凹んだ、とのこと。


トランクのドアを開けたままバック?!

しかも自宅で?!


自宅でよかったよ。


65才くらいでこれだもの。今75才で後期高齢者の仲間入りして、大丈夫だろうか、運転。


夫の実家は、ゴミ収集車も来れないほどの急な斜面を登った、言わば山の頂上みたいなへんぴな場所にある。ゴミは公民館まで車で出しに行く。


日常生活に車は欠かせない。


へんぴな場所にばあちゃんと二人で住んでいる。


家を自力で処分して、便利な場所にある市営住宅にでも移ってほしい。←泊まり帰省せずにすむ(^^)


義実家はモノが増えるたびに部屋を増築して今はなんと8DK+納戸+サンルーム。


その荷物 誰が処分するの?


荷物は減るどころか、マッサージ機や筋トレグッズでどんどん増えている。


関わりたくないから見てみぬふりしてる。






.

一言多い人

むかーし、東京の出版社で働いていたときのこと。

当時は、まだ編プロ(編集プロダクション)だったけど(笑)


社長がカナダ好きで、カナダにしょっちゅう行ったり来たり。

そんな感じで表向きカナダ通の出版社という立ち位置に。

で、カナダの本をたくさん制作していた。(委託の制作のみ、出版は大手出版社から)


まだ少しバブルをひきずっていたので、銀行もお金かしてくれたのかな。

ついに会社初の出版物、カナダの風景にキルトをあわせたミニ写真集(ポケットサイズ)を社長の趣味で発行した。

(社長が写真撮ってる)


ほとんど社長が作った。

中身は写真しかないのでね(笑)


そして、いよいよ発売を控えた数日前のこと。


帯に問題が…。


新刊の時に本の下三分の一くらいに巻かれた印刷物のこと。宣伝文句や有名人の推薦文などが書かれ、購買意欲がそそられる大事なツール!


その帯に大変な誤植(誤字)を発見!


「『赤毛のアン』のプリンス・エドワード島…」と書くべきところ、『赤手のアン』…」となっていた。

『赤手』って、???何?


誰も気づかずになんで印刷、製本まで来た?


出来上がりの本が箱で会社に届いてから、カメラマンの一人が気づいた。


編集の人、だれも気づかず。


だって社長と社長の愛人と噂される女性しか携わってなかったから(社内に愛人が数人いました)


で、慌てて帯をはずしに行くことになった。製本所まで。


「今夜は徹夜かな」(泣)


社員総出、そして印刷所の営業さんも来た。

とにかく人手がいる。


社内は大騒ぎ。


その時、私が苦手な先輩社員(性格超悪し)がぽつり。


「これって、残業代でないんでしょ…。」


社長の目の前で…。


当然 社長はフリーズ。

そして大きな雷が(恐)


発売日は決まってるしずらせない。納品の手配も控えてるから今日中に一万冊の帯をとらなきゃいけない。

そのときに残業代のこと気にしてる先輩。


その先輩は、間違ってはないけど、今言う?


ことが終わってから、社長ではなく、すぐ上くらいの上司に言えばいいのに。


要領悪。


結局、その日中になんとか帯外し作業は終わり、深夜0時くらいに女性陣は帰った。残りは終わるまで男性陣がやった。


こんな似たような話、確か「校閲ガール」でやってたなぁ。


帯無しで販売することとなった新刊は、案の定売れるはずもなく、在庫いっぱいに。

しまいにはカナダのイベントがあった時、来場者にタダで配ってた。(笑)


もちろん、その意地悪な先輩社員はのちにクビ。


その時すでに私は会社辞めてたからよくわからないけど。



今頃どうしてるかなぁ。


余計な一言癖、治ってるかしら(笑)

↑画像探したら、メルカリで売りに出てた(-。-;)




.

メルペイしてみた

メルカリのポイントがあったので、それでクーポンを使ってメルペイで初お買い物した。


すでに発行枚数に達成したクーポンも多く、今回使えたのは、ローソンのからあげクンとアイスコーヒー。


お安いので、からあげクン(レギュラー)1個をクーポン併用で購入。



216円(税込み)がなんと200円引きで、16円で買えた。
その16円もメルカリのポイントを使用したので現金は使わず。


得した気分。


これまでもポンタカードのポイントで、ローソンのクーポンを店頭の機械で出して、タダで色々もらったことはある。


メルカリのポイントの使い道がなかったので嬉しい。


セブンイレブンやファミマのクーポンもあるようなので、ちょいちょいチェックしてみよう。






.

強烈な過去の体験 (完結編)

兄は、更正施設に約三年ほどいた。


そこは先生のお宅にホームステイをし、疑似家族を体験していきながら本来の性格を取り戻すという、本当に素晴らしい施設だった。


畑や家畜の世話、自然の中できっと身も心も解放されていったのだろう。


のちに兄は、退院後もしょっちゅう先生へ会いに行っていたし、先生に電話などもよくしていた。


父親のいない兄(私もだけど)は、きっとその先生を本当の父親のように感じていたのだろう。


兄は、施設を出たあと住み込みの板前修業をした。(さらに遠方で)


私は、兄が一生帰ってこなければいいと思っていたので、退院→帰宅 でないことにホッとした。


兄は「将来は板前になって自分の店をもつ」などと施設の人に言っていたようだけど、兄が料理を作るところを見たこともなく、店をきりもりする技量もない、とわかっていた。


高校に行ったり、資格をとったりするのが嫌でまた逃げている、と思った。

案の定、板前修業は一年ほどで辞め、ついに家に戻ってきた。


戻ってきた時 兄は18才だった。

職業訓練校へ一年ほど通い、小さな自動車整備工場に就職した。

それも長続きはしなかった。

それからは職を転々とする。

半年くらいで、すぐやめてしまう。


ようやく落ち着いたのは30才手前くらいか。

母のコネで。


ようやくそこで落ち着いた。

そして今も同じ会社に勤めている。


今は結婚もし、子どもも出来た。

だけど夫婦仲は悪い。


私は、母が死んだら兄との縁はきれると思っている。


必要にせまられて、法事や母のことで仕方なく兄と会うが、やはり今でも緊張する。全身の筋肉がこわばって、ぎこちなくなるのがわかる。

条件反射なのか、兄の顔を見ると、暴力をふるわれていた恐怖が甦る。


きょうだい、という感覚はまったくない。



パラレルワールドというものがあって、もし母が兄を殺していた世界があったとしたら。


私は、いったいどれだけ壮絶だっただろう、と思う。


多分 離婚した父の方へ引き取られる。そこでは殺人犯の娘として白い目で見られ、父の再婚相手と不仲で悩む。異母兄弟を妬み非行に走っていたかもしれない。


落ちるところまで落ちている可能性もある。


そう考えると、今の人生はそれほど悪くないとも思える。





おわり




.

強烈な過去の体験 (中編)

※前編のつづきです。やや衝撃的です。興味のない方はスルーしてください。




トイレに人影を見つけ、私は、血の気がひいた。

兄に殺される。

私たちを殺すためにやつが帰ってきた。

ほんとに殺すか殺されるか、なのかもしれないと思った。


母に兄がトイレに潜んでいることを伝えた。

二人で手をとって泣いた。


とにかく兄をこの家から連れ出さなければ。


そのときほど、時間のたつのが長く感じたことはない。

たぶん2、3時間。


母が、児童相談所に電話して「子供が勝手に帰宅している。どうしてきちんとみていてくれなかったのか」と訴えたら「自宅と児相はかなり距離があるので脱走するとは思わなかった」と悠長だった。


家の中にある危険そうなものを庭のすみに隠した。


トイレの前に行き、母が声をかけた。

「○○ちゃん(兄の名前)、いるんでしょ、出ておいで」


しばらくして兄が出てきた。

髪は坊主頭の毛が伸びきってボサボサ。

まぶたは泣きはらして腫れ、目は真っ赤だった。

頬には、涙のあと。

口は真一文字に歯を噛み締め、ずっと前をにらんでいる。

本当に怖い顔だった。


私は、なんで兄が泣いているのかわからなかった。


そして、兄はついに強行手段に出た。

泣きじゃくりながら、

「なんで相談所に言った? 俺を捨てたんか!」

と怒鳴りながら、ガラスの障子を素手で割った。

ガラスの破片を手に持って、母を睨みつけていた。刺そうとしているようにみえた。

私はそのとき、常に刃物は隠していたけどガラス窓の撤去をしていなかったことを悔やんだ。


私は、母が殺されると思い、慌てて裸足で外へ飛び出し助けを呼んだ。


大声で

「お母さんが殺される!誰か助けて!警察を呼んでください!」


泣きながら何度も何度も。


すぐ近所の人がきて、110番してくれた。

離れを貸していてくれた人が家に来て、ガラスの破片を握りしめた兄の手からガラスを取り上げ、その辺にあったタオルで兄の血だらけの手に巻いた。


近所の人がどんな言葉を兄に投げかけていたのかほとんど覚えていない。

(そんなことしちゃだめ、とか、たった一人のお母さんじゃないとか、そんなありきたりだったと思う)


私は、恐怖を感じながらも、家族以外の人がいてくれることにとても安心した。

兄は典型的な内弁慶なので、他人がいるときっと感情を押し殺すはず。


でも、兄は駆けつけた近所のおばさんに

「うるせえ、ばばぁ、出ていけ」

と言っていた。

(兄の声が小さかったのでおばさんには聞こえていなかったと思う)


やがてパトカーのサイレンの音がして、警察官が数名わっと入ってきた。

二人くらいで兄を羽交い締めにして連れて行った。

兄は激しく抵抗し、泣きながらわめき散らしていた。

「なんで?なんでそんなことするんか!やめろ!」

母に対してだと思う。


それから兄は、脱走できないほど遠い児童相談所へあずけられ、そして県外の少年更正施設に移送された。(主に非行少年のための施設、少年院の前段階)

自宅からおよそ100km。


その日から母と私だけの穏やかな生活になった。


それから兄が退院するまでの三年間、私は一度も兄には会わなかった。

母は月に一度面会にいっていた。

専門家の指示で、私には会わせないようにと、言われていたと後で聞いた。


兄が帰りたくなるのと、なんで自分だけここに置き去りなのか、と更正の妨げになると判断したようだ。


その更正施設はとても素晴らしいところだったようだ。




つづく。





.