夕暮れ日記

アラフィフのときどきパート主婦。何かしなきゃと思いつつ、気がつけばいつも夕暮れ。思春期真っ盛りの中2男子、女子力高め小6女子&無口な旦那の4人暮らし。日々のぼやき日記。

専業主婦。
やらなきゃいけない事は山盛り。なのに気つけば夕暮れ。
12 才の長男は発達障害グレーゾーン。やり場のない思いをボチボチ綴っていきます。

熱中症ではなかった

前回のブログでは、自己判断で熱中症だと書いたけど、実は、寝る前に塩分と水分をきちんととっても、翌朝はやはり立ちくらみやめまい、吐き気に悩まされていた。

まぁ、そのうちよくなるだろう、と軽く考えていた。高血圧を抑える薬の副作用でおこることもあるし、更年期の症状ということもある。


ぼんやりそんな事を思いながら、内科の定期検診の時に先生にチラッとめまいの事を言ったら、先生が恐ろしいことを仰った。


「目覚めた時だけ、めまいがあるのは危険なんですよ。朝は、脳がむくんでいるから何か脳腫瘍のような物があると脳を圧迫してめまいが起こるけど、日中徐々にむくみがとれるとめまいはなくなるんです。脳腫瘍があるかもしれないので、早いうちにMRIを受けてみませんか」


「脳腫瘍…。」

思ってもなかった先生の言葉に、手術や闘病、リハビリなどネガティブなイメージが次から次へと沸き起こる。

手術は、どこでしようかな、ママ友の旦那さんが、脳外科医だったな、そっちに頼もうかな、いや、旦那はまだ若い、外科医は若さより経験値! やはり先生に紹介してもらおう! もう すっかり脳腫瘍患者きどり。


大きな病院のMRIの予約を入れてもらい、初めてのMRI検査を受けることになった。


MRI検査と、CT検査、同じだと思ってた。

実際、ぜんっ然 違った!!


頭に、剣道のお面のようなどでかい頑丈な格子の器具を付け、仰向けで固定される。耳には耳栓。鼻までつーんとする。

体が動かない状態にして、手に緊急ブザーを握らされる。

「どうしても耐えられなかったら、押して下さい」


「それでは始めます。時間は20分くらいです。かなり大きな音がしますけど、気にしないで下さい」


「はぁ、」(20分も大音量でこんな狭くて暗いトンネルの中で耐えられるだろうか…、発作が起こったらブザーを押そう)

不安なまま、ひたすら眼を閉じ、20分間必死で耐えた。


~~~一週間後~~~~


検査結果は、かかりつけの先生の方に届いており、私の頭蓋骨の中身を見ながら神妙な顔つき。

「脳内には、萎縮や脳梗塞、脳出血などの異常はみられませんでした。脳腫瘍もないです。ただ問題が…」


「キターっ!!!」


「鼻の奥には鼻腔という空間が4つあるのですが、その一つの一番奥の蝶形洞副鼻腔に炎症と膿がかなりあります。一度耳鼻科でみてもらったらいかがですか?」



かくして私は、『蝶形洞副鼻腔炎』という診断を受けた。いわゆる蓄膿症だ。

程度を聞いたら中程度、薬で効果がなければ手術らしい。

昔と違って手術は、内視鏡で行うので、あまり大掛かりではなさそうで少し安心した。


つづく

初めての熱中症

朝起きたらめまいと吐き気。

ふらふらしながらリビングへ行き、ソファーに倒れ込む。

いつ、えずきだすかわからないので、ビニール袋片手に準備万端。


めまいが少し治まったので、アイスコーヒーとトーストを食べた。

吐き気は空腹からきていたのかも。


食事をし始めたら、めまいも吐き気も治った。念のため「命の母」も飲んだ。(効能の中に、めまいがあったから)


体調不調の原因は、朝目覚めた時のじっとり汗ばんだ不快さと生暖かい部屋にあると本能的に思った。


ネットで熱中症を調べたら、やっぱり症状の第一段階でおこるのが、「めまい」「吐き気」などだった。


寝ている時に熱中症になることがある、と聞いていたけど、まさか自分がなるなんて。

ほんとにびっくり。

てっきり水分不足で炎天下にいた時になるものと思っていた。


家の中でもなるんだな。

エアコン26度設定でかけていたのに…。


これからは24度で朝までずっと、そして寝具は涼しいものに換えよう。


ケチケチして26度の4時間タイマーだったからかな。







皆様もお気をつけて…。(^^;)

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仕事開始

6月半ばから仕事が入っていた。5月からまた腰痛が激しくなったので、仕事断ろうか迷っていた。


仕事開始してから「やっぱりできません」は大迷惑。


でも、仕事が入っているから何がなんでも体づくり頑張る、というのもありなんじゃないか。

とりあえず1か月ある!ということで5月から、リハビリとウォーキング頑張った。


でも やはり劇的によくならない。

仕事開始まであと三週間、というところで病院のお世話に。


病院では一応レントゲンをとり、痛みの原因をさぐる。

異常なし……。

「運動不足でしょう」

と言われた。


運動不足には間違いない、筋力は年とともに落ちているから、かなり意識的に運動しないと。


病院では電気刺激で血行をよくし、ストレッチの指導を受けた。そして大量の湿布と鎮痛剤をもらった。


「二週間頑張ってもまだ痛みがとれなかったら来てください」

と言われた。


二週間後、痛みがとれてる姿が想像できない。


それでもとりあえず二週間がんばってみた。

不思議と体が軽くなり、日中寝てばかりだったのが、無理なく動き回れるようになった。


これなら仕事できるかも…。


仕事キャンセルするのはやめて、ケアをしながら、任期期間中頑張ろうと思う。


私みたいに、腰痛を理由に仕事しないで済む人はいいけど、世の中には辛くても、薬飲みながら働かざるをえない人もいる。

腰痛を理由にしていたら、何もできなくなる。


少し考えを変えた。

腰痛があるから諦めるのではなく、腰痛が出ないように生活をかえる。


もしガンなどの病気になったとして「病気だからあれもできない、これもできない」と言い訳するより、ガンに負けない精神を作るのも大事。ガン患者として生きる。


健康だったもとの体に戻ることはない。ならばこれ以上悪化させず、上手に付き合う。

できることを探す。


仕事初日は、さほどする事がなく、わざわざ私のために雑用を作ってもらった。

それも申し訳ないので、資料を読んだりパソコン操作のシミュレーションしたり…。


夕方ちょっと腰が痛くなったけど、なんとか持ちこたえた。


家にいても時間がたつのが早いが、外にいてもあっという間。誰か言ってた。

「年齢と同じ時速で時がたつ。30才なら時速30km、50才なら時速50 km」

子供の時は、たしかにゆっくりだった。


毎日きちんとした服を着て、お化粧もして、ヒール靴はいて…。面倒くさいけど、こういうのも必要なのかもしれない。

ひきこもりもいい加減にしないと。





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「終わった人…義父の場合」

夫がこの前、ネットで酒を注文し夫の父に送っていた。

「4000円の酒、父の日のプレゼントで送ったから」


私「うん」


夫の父は、父の日プレゼント、誕生日プレゼント、中元、お歳暮と世間で行われる贈り物のやりとりはほぼ欲しがる。

子どもや孫にはほとんど渡さないのに。

夫の父からもらうものといえば、正月のお年玉。小6と中2の私たちの子へそれぞれ1000円ずつ!


しかももったいぶる。


「年玉欲しいもんは、一列に並べ!」

そして孫一人ずつに手渡しする。丁寧にお礼を言わないと渡さない。


私は今年、義実家へは行かなかったけど、子どもに

「またお年玉もらうのに並ばされるようなら『いらない』と言って。その分お母さんが多めにあげるから」

と言っておいた。


その話はさておき…。


かつて大手メーカーの役員だった夫の父は、お中元&お歳暮の量がすごかった。

六畳の部屋の半分を占めるほど中元の箱が山積みだった。

クール宅急便の類も多く、冷蔵庫は高級食材でびっしり埋まっていた。

盆に帰省した時は、大きな紙袋3つくらいに「お裾分け」してもらった。(ケチんぼ義父だが、当時は義母が存命中だったので義母がくれた)


そして、義母が亡くなり、義父も退職。

退職したから、もうお中元はないなと思っていた。


仕事関係の中元なんて、退職したら来るわけない。と、思う。

それでもくるなら、よほど人望のある出来た人間だ。


夫は脳天気に「今年もお中元のお裾分けいっぱいもらえるぞ(ビール切望)」などと喜んでいた。


結果 中元は、私ら息子夫婦と弟夫婦、そして二人の嫁の実家からだけだった。(4個)


当然もらえるはずもなく手ぶらで帰って来た。予想どうり。


もちろんお歳暮も。4件のみ。


ありがちだけど、会社での肩書きで人がチヤホヤしているだけなのに勘違い。

年賀状も出しもしないのに300枚くらい来ていたけど、退職した途端激減。ほぼ血族関係とDM年賀状だけになった。(20枚くらい)


今は完全に隠居生活で、近所の昔馴染みがお情けでゴルフに誘う程度。


それに対して、私の叔父(元銀行員、義父と同い年)も義父と同じように妻に先立たれ、一人暮らしだけれど義父とは全然違う日々だ。


銀行のOB会で麻雀やゴルフ、旅行と毎日忙しい。早期退職したので、自由人になって25年くらいたつが中元、お歳暮はすごい量。商品券は私に必ずくれる。


要は、男気があって気前がよいのだ。子どもの頃はよくわからなったけど、この叔父なかなか出来た人だった。早期退職の後は、大手企業から役員へのお誘いがかなりあったらしいが、奥さんの看病で辞めているから全部断ったという。


同じ年で、同じように大きな企業で勤めていても夫の父とは全然違う。


内館牧子さんの「終わった人」を思い出した。

義父は完全に終わった人だ。


会社を退職してから再就職の誘いは一件もない。


当然だ。



私は、出産で仕事をやめ、一度終わってるから、定年退職した人の気持ちがなんとなくわかる。


誰がか言ってた。

50代からは「どうでもいい無駄な友達を作るべし」と。

退職したら友達0、にならないために50代から、遊ぶ友達を作っておいた方がいいと。


夫の父は、いい反面教師だ。



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くわの葉

小学四年生の時、教室でかいこを飼っていた。


大きめの水槽? か虫かごの中にくわの木の枝が入っていて、かいこ(幼虫)が葉を食べていた。


大きな芋虫なんだけど、葉っぱを食べるさまがかわいくて休み時間は、ずっと眺めていた。


そして、学校の帰り道、くわの木を見つけた。

毎日かいこ&くわの葉を眺めていたから、一目でくわの葉だとわかった。

「かいこいるかなぁ?!」

大きな木で、かいこがいるかどうかはわからなかった。


翌日学校で、何気なく、

「帰り道くわの木見つけた」

と誰かお友達につぶやいたら、

それを聞いていた先生が飛んできた。

「ほんとにくわの木? 間違いない? どこで?」

熱心に聞いてきた。


私は、地図を書いて、くわの木が植わってある家の事を丁寧に話した。


それから数日後、先生は実際にその家に行ったらしい。目的は、くわの葉をもらうため。


家主は快くくわの葉を提供してくれた。

どうも先生は遠くに住んでいる人からかいこをもらい、教室においた物のその餌となるくわの木が近くにないので、かいこを飼いつづけるのは難しいと、あきらめていたらしい。

そこへタイムリーに私がくわの木情報を提供したので、慌てて枝をもらいに行ったのだった。


私は、ただの雑談のつもりだったのだけど、先生から親しく話しかけられ、感謝され、とても誇らしい気持ちになった。

先生から相手にされることなどほとんどなかったので、先生と会話できることも自分に質問してくることもとても嬉しかった。


今 その時のことを思い出したのだけど、今思うと10才の子どもがくわの木と他の木との区別がついた、というのは驚き。

いや、子どもだからわかったのか。

今の私ならわからない。

子どもってすごいなぁ。

私の情報提供のおかげで、かいこは無事繭を作り、ガになるところまで観察できた。

先生からは、ずっと感謝された。


こんな成功体験が続けば、私はもっと積極的で自分に自信のもてる自己肯定感の強い人間になれたかもしれない。

でも残念な事に、学年が変わり担任も変わったので、まだ存在感のない内向的な子どもに戻ってしまった。


誰かから必要とされていると思うと、何か膨大なエネルギーが働く気がする。


「感謝されることをする」ことはとても大事だと思う。







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