夕暮れ日記

引きこもり主婦です。メンタル弱めです。やらなきゃいけないことはたくさんあるのに、何もできないまま気づけば夕暮れ。そんな日々の徒然日記。(コメント欄は開けたり閉じたりします<(_ _)>)

専業主婦。
やらなきゃいけない事は山盛り。なのに気つけば夕暮れ。
18才の長男は発達障害グレーゾーン。やり場のない思いをボチボチ綴っていきます。

強烈な過去の体験(前編)

※やや衝撃的な内容です。

興味のない方はスルーしてください。




私の兄は中学の時に不登校になり、その後家庭内暴力。

私の母は離婚していたので、私と母は、毎日地獄のような日々を送った。


兄は中2の夏休みあけくらいから不登校。

昼間は寝て、夜中に外出、明け方まで徘徊。

一人だとさびしいのか、小5の私を連れて毎晩徘徊。

近所の公衆電話を壊して回ったり、民家の空き瓶を盗んだり(コーラの空き瓶を店に持って行くと30円くれたから)

自動販売機の下に落ちてる小銭を拾ったり。

あ、全部やるのは兄、私は見張り。

昔だし、田舎だからお巡りさんとか来ない。


私は、一晩中歩き回った翌朝学校へいくので日中眠い。

授業も耳に入らない。居眠りばかり。


やがて、兄の母への暴力が激しくなり、私の体力も限界に。


兄は昼間家にいて退屈なのか、鬱積したものを爆発させていたのか、私が大事にしているコミック本を全部ビリビリに引き裂き、教科書も破り捨て、ランドセルもカッターで切り裂かれた。


何も悪いことしてないのに、私の大切な物がどんどん壊されていく。


教科書は、「どこかに置き忘れた」と、年上の知り合いに嘘を言って譲ってもらった。


夜になると暴力や家を破壊するので、そのガラスが割れる音で近所へも知れ渡り、いろんな人が訪ねてきて兄に説教をした。

兄はだまって聞いてるけど、ドンドン兄の体内マグマは煮えたぎる。


私は下校後、家には帰らず母の職場へ。そして二人で一旦帰宅し、兄の食事を用意して(母の職場でもらってきたものやパン、ラーメンなど置くだけ)、着替えを持って親戚の家に泊まる。(車がないので移動が大変だった)朝は早起きして、親戚の家から学校へバスで通う。


親戚からもついに疎まれ、とうとう泊まるところがなくなった。

母は仕方なく近所の人へ相談、離れで夜だけ泊めさせてもらうことにした。


そんな生活なので、私は、毎日忘れ物だらけで成績もどんどん下がり、毎日のように担任からしかられた。


先生に本当のことを言えず、とてもつらかった。


半年以上こんな生活が続いたかな、母が「兄を殺す」と言い始めた。いつまでこんな生活が続くのか、精神的にも追い込まれていた、と思う。


母が泣きながら

「大阪のおばちゃんちにいく?○○のおじさんとこいく? お母さんはお兄ちゃん殺して自分も死ぬから」

と言った。

私は小学5年生。


とにかく

「お母さん死なないで。私は、おばちゃんとこもおじさんとこも行きたくない、お母さんと暮らしたい」と言って、母を説得した。


母は児童相談所というものがある、ということを職場の人に聞き、度々相談しにいった。


でも効果はなく、相談したことで余計に兄は暴力的になっていった。


母は、ついに兄への食料支援を、やめた。二週間ほど全く家に帰らなかった。

母と私は二週間ぶりに帰宅した。

もしかしたら兄は死んでいるかもしれない。


家に入ると人の気配はなく、シーンとしていた。

茶の間に行ってみると、こたつの中で兄が仰向けで寝ていた。


一週間くらい何も食べていなかったようでガリガリに痩せていた。起き上がる体力もないらしく、母を目だけで見ると涙を流した。


母は兄を起きあがらせると、何か飲み物(たぶん水)を飲ませた。

おにぎりかパンのような食べ物も買っておいたのか、兄に食べさせていた。

人というのは、しばらく物を食べていないと、なかなかすぐには食べられないようだ。水も飲んでいなかったようで、唇の皮がうろこのように干からびて白くめくれていた。

食べ物をゆっくりゆっくり少しずつ食べていた。


私は、この時ばかりは目の前の力を失った暴君を見て、いいきみだ自業自得だと思った。(暴力をふるっていばりちらしていても、一人じゃ何もできない情けないガキ、と)


母は兄に

「あんたがそんなんだと、一緒に暮らせないの、わかるよね。お母さんも妹もおらんほうがいいやろ、自分でどうしたいか考えて」

と言っていた。


兄は、

「ずっと帰ってこんし、見捨てられたと思った。死ぬかと思った」

と泣きながら言っていた。


わずかな滞在で、私と母は家を出た。

おそらく母は翌日、児童相談所に行き、自宅の鍵を渡し、兄を強制的に連れ出した。


児童相談所の判断で、兄は相談所でしばらく寝泊まりする事になった。

久しぶりに我が家で、安心して眠ることができると喜んだ。


安心もつかの間。

翌日の夕方、私たちは凍りつくのだけど。

なんと兄は児童相談所を脱走して、自宅のトイレに立てこもっていたのだ。

開いていたトイレの窓から侵入し、ひっそりと身を潜めていたのだ。



つづく



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つくれぽ(プチ圧力調理バッグ)

早速手抜き……、時短料理作ってみた。


『鶏もも肉の照り焼き風』

バッグの口を広げて材料を入れ、合わせ調味料を注いでモミモミ、そしてジッパーをぴったり閉じ、耐熱皿に乗せてそのままレンジへ。

600wで、5分→3分放置。取り出す。


ほんとに材料切り始めてから10分くらいで、アツアツが食卓へ。


使う調味料は醤油と砂糖のみ。


耐熱皿に出来上がりを盛ったので保温効果がある。そのまま食卓へ。しばらく熱々。

↑レシピの一例。

調理器具をほぼ使わないので、洗い物もなくて○。(合わせ調味料を混ぜ合わせる器は使うけど)


バッグは、特殊な加工をしていて、使いきりというのが切ないけど、でもうまく出来てると思う。


5分しか加熱してないけど、余熱で完全に火が通るので、レンジとは思えないほどふっくらジューシー。

肉汁がたくさんでるので、汁ごとごはんにかけて『照り焼き丼』がいいかも。


これは、たくさん買っておいて、いざという時のお助けグッズになりそう。



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手抜きグッズ発見

スーパーで、こんなもの見つけた。


↑リードの商品紹介サイト


↑パッケージ(レシピ入り)スーパー価格400円少し切るくらい。5枚入り。


↑中身。ジプロックみたいな感じ。側面から蒸気が出る。


残念なのは、出来上がりが1~2人分。わが家は一回の調理に2枚必要。


ほんとにレンジ調理でおいしくできたらいいんだけど。

調理後の洗い物がなくていい。


時間差で食事するとき使ってみようかな。






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実は大変だった娘の歯

娘と息子は、永久歯に問題がある。


中心結節(ちゅうしんけっせつ)という歯で、小臼歯(しょうきゅうし)の中心に小さな突起がある。

その突起には、神経が通っていて、ちょっとでも欠けると神経の通っている穴を伝ってばい菌が侵入、歯の内部が炎症を起こすので、神経をとらないといけなくなる。


なので、歯医者さんからは、絶対に欠けさせてはいけません。堅いものは避けてください、と言われていた。そして、中心の突起のまわりをセメントで固めて突起が折れないようにガードしている。


なのに、なのに、先日その中心結節が欠けてしまっていたらしい。


周りを固めていたセメントも何年も歯医者にいかないうちに取れてしまってたようだ。


歯が痛いといいだしたのだけど、虫歯も見当たらない。永久歯の生え替わりで乳歯がグラグラして痛いのか、と気楽に考えていた。


GWに突入してまもなく、娘が涙をポロポロ流して、歯が痛い、という。

「虫歯かな?」

というと、

「今まで虫歯になったことないから、虫歯がどんな痛みかわからない」

という。

口をのぞいたけど、激痛がするほどの虫歯なら穴があいていてわかるはず。


とりあえず救急の歯医者を探して、見てもらった。


歯科衛生士が最初にみて、

「歯並びが気になるので、矯正を検討されてはどうですか?」

歯が痛くて泣いているこどもに、早く処置しないで、歯列矯正の営業!

でも、早く見てもらいたいので、「ゆくゆくは…」と答えた。

そしたら、さらに

「今回特別に矯正の検査を三千円という破格でできますが、そちらを視野にいれた治療でいいですか」

とのたまう。


さっさと治療しろ!


早く治療してほしかったので、「結構です。矯正は別の歯科でします」

といいたい気持ちを抑え、生返事。


ようやくドクター登場。

若い!(20代) 大丈夫か!バイトか?


娘が診察室に入ってかなりたってから、やっと診察。

「レントゲンとらせてください」

レントゲン撮ったら、

「もう少し精密なレントゲン撮らせてください」

段取り悪すぎ。


救急だし、祝日だし、かかりつけじゃないから仕方ないけど、さっさと見ろよ!


で、診察室入室から15分くらいたってやっと治療開始。(途中何度も抜けて院長や歯科衛生士に相談)

中心結節が折れて、神経の穴からばい菌が入り、神経が腐ってる、とのこと。神経がズキズキしているので、神経をとらないといけない、らしい。


中心結節という言葉を聞いて、はっ!とした。

そうだった。中心結節のお手入れやチェックをマメにしなくては、いけなかったのだ。もう、折れてしまったら後の祭り。


娘! ごめん。


虫歯のない臼歯を一本だめにしてしまった。


痛みの原因がわかり、処置してもらったものの、あの救急の歯医者には二度と行きたくない。


連休が明けたら、私のかかりつけに連れて行こう、と思っていた。

そしたら、まさかのぶり返し。

翌日、娘の顔は見事に腫れ上がり、こぶとりじいさんか、と思うくらいの腫れ。

異様な顔になっていた。

息子が「扇風機おばさんみたい」と言った。私も内心似てる、と思った。


おたふく風邪も視野に入れ、念のため小児科の救急も調べた。


運良く私のかかりつけの歯医者は、30日は診療可だった。事情を言って、急患ですぐ見てもらえることになった。


案の定、前日の歯医者の処置がまずかったらしい。それで腫れたようだ。


「基本的には、処置は間違っていないのですが、患部に綿を詰めすぎたせいで、通気性が悪くなって炎症をおこしてます。歯の根っこをきちんと消毒して、綿を詰め直します」


ほかにも、何カ所か「えっ?」と疑う処置があったようで、先生が何度か「こんなことするから、腫れるんだよ!」とか、文句をブツブツ言ってた。


あー、もう 救急のバイト野郎!


ベテラン先生にきっちり処置してもらった。まだ痛むようなら、連休中も携帯に連絡くれれば診てあげる、との約束もとりつけた。(安心)


でも、先生のお蔭で、炎症止めのお薬飲んで、言われたとおりにしていたら、4日ほどで腫れはひき、痛みもほぼなくなった。


GWじゃなかったら、すぐかかりつけに行けたのに! 悔しい。

ほんとにGWの前半は、さんざんだった。


息子にも中心結節があるので、折れないよう今度はしっかり見守ろう。


中心結節は、折れたら神経抜かないといけないので、ほんとに注意。そして、すぐに歯の奥が化膿するらしい。どうしようもないそうだ。





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GWのお出かけ ~島根県津和野町~

GWはどこへも出かけないと思っていたけど、夫の突然の号令で津和野行きが決定。


↑九州側から山口県側を見る。

↑ちょうど、県境。


GWの後半なら人も空いているだろう、という見込みで(^-^;


結果、ちょうどよい込み具合(少なめ)。渋滞もなく、駐車場も空いてて、食事処も待たなくてよかった。


車で早朝に自宅を出発。で、10時半頃現地到着。


実に私は45年ぶりくらいの津和野。

街ブラで最初に遭遇した教会。こどもたちがカトリックに縁があるので覗いてみた。

こどもの頃は、立派な鯉がそこらじゅうにいる古い街並み、という印象。今は、その鯉がいる側溝?!運河?!もかなり減って観光地仕様。一部の商業施設のところだけ鯉がいた。


鯉を見物しつつ、小京都を散策。


途中 趣のある作り酒屋やさんへ。

↑看板

↑手水鉢


津和野駅そばの庶民的な食堂。名物の『うずめめし』(具をご飯の中に埋め込んでいて、パッと見はただのご飯)、夫は『ふきめし定食』山菜(ふき)を甘辛く煮てご飯に混ぜ込んだものと、山菜の炊き物。

↑うずめめし(750円)

↑ふきめし(750円)


こどもたちはご当地名物は関係なく、『ざるうどん』と『エビ天そば』(ご当地感ゼロ)


そして、食後は腹ごなしに太鼓谷稲成神社へ。見事な鳥居。

長い階段を登って、天空の稲荷神社へ。


そして、名物のお持ち帰り用の『いなり寿し』をゲット。津和野で一番古い食堂『美松食堂 』さんが創業当時から煮汁を継ぎ足しで守る秘伝の味! 色が黒いのが特徴。お味は、酢飯の酸味強め、醤油はコクがあって濃いめ。田舎のお家で出てきそうな気取ってない味。

↑6個入り780円



その後は、森鴎外の生家を訪問。意外にこぢんまり。3Kくらい。(入場料100円)

正面の門を入ってすぐお花一杯の庭。

↑鴎外の勉強部屋。

↑森鴎外肖像


森鴎外が0才から10才まで住んでいた家らしい。(築150年くらい)


津和野の町の全貌


そして、渋滞をさけるため早めに帰路についた。

途中ドライブインで、『ソフトクリーム・エスプレッソ味』『長州鶏の唐揚げ』『長州鶏の黒い肉まん』『豚バラ焼き』『生外郎』などを食す。(スマホ車に置いてきて写真とれず)


久しぶりに、名菓『源氏巻』や『生外郎』が食べられて懐かしかった。(『源氏巻』は実に40年ぶり。変わらない味、こどもの頃はきらいだった)


※『源氏巻』は、どら焼きの生地であんこを包んだもの。巻物みたいな形状。

↑左がこしあん、右がつぶあん。




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