夕暮れ日記

アラフィフのときどきパート主婦。何かしなきゃと思いつつ、気がつけばいつも夕暮れ。思春期真っ盛りの中学生男子と女子力高め中学女子&無口な旦那の4人暮らし。日々のぼやき日記。

専業主婦。
やらなきゃいけない事は山盛り。なのに気つけば夕暮れ。
12 才の長男は発達障害グレーゾーン。やり場のない思いをボチボチ綴っていきます。

30年の空白

夕飯を終えて、食器を流しに運んだ時、突然携帯がなった。

見知らぬ番号。

間違い電話だと思った。


5コール待ってみた。


止む気配なし。

「はい」

無愛想に出てみた


「私よ、わかる?」

「えっ」

「◯◯高校の同級生の石川!(仮名)」

「あ、イシコ?」


酒灼けなのか少し声がかすれてハスキーになっているが、紛れもなく小中高と一緒だった幼なじみのイシコの声。

電話で話すのは何年ぶりだろう? 30年ちかく経つのか…。

なぜ、私の携帯番号を知っているのか。30年前はまだ携帯なんてなかった。


「なんでかわからないんだけど、急に電話番号思い出して、すごい気になって思いきってかけてみたら「夕暮れ」のお母さんが出てさ、今こっち戻ってきてるって言うし、携帯教えてくれたからさ、かけてみた(笑)」


酔っ払ってる。でなきゃ 普通このテンションでかけてこない。


「びっくりした! 懐かしいね〜」と私。


本当に思いがけない電話だった。最後に会ったのはいつだか思い出せないが、酒を飲んでいたので多分20才くらいだろうか。


イシコは、まだ独身だという。

高校卒業後、地元の都会の短大へ進み、その後地元の準ミスに選ばれた。

博覧会のコンパニオンやモデルなどをしていたところまでは知っている。


甲子園球児のファンで、この間世間をお騒がせした元野球選手とも飲みに行った事があると自慢気に言っていた。

そのイシコだ。

CA希望だったが英会話で落とされ不採用になったが、その美貌でグランドホステスの内定をもらったのに結局辞退したイシコ。

銀行員や秘書の仕事も内定もらったのに蹴った。次々とイシコの記憶が蘇る。


「いつ戻ったん?」

「17年位前」

そして、また自分がなぜ電話をかけたのか、を延々語り始める。3回くらいリプレイされた。

「酔ってるよね?」

「うん、毎日飲まない日はないくらい飲んでるもん」

少しろれつも回ってない。声が大きく、陽気だ。

相当飲んでるな。時計を見たら8時間半だった。

この時間にこんなにできあがってるなんて、いったい何時から飲んでいるのか。


私はこのイシコから酒の飲み方を教わった。

福岡の中洲や、東京の新宿、六本木、全日空ホテルのラウンジ。

初めて行ったショーパブもショットバーもイシコと一緒だった。

懐かしいけれど、甘酸っぱい思い出が走馬灯のように蘇る。

私の昔を知っている、私にとって丸めて燃やしてしまいたい子ども時代も知っている。


私は暗くて可愛げがなかったので教師から嫌われていた。

イシコもまた、先生から目の敵にされていた。

きれいで明るく気前がいい、そのイシコが私より嫌われている。

私は積極的にイシコと遊んだ。

嫌われ者同士、言葉には出さなかったが、イシコも私と同じ気持ちだったのかもしれない。


イシコの両親はパチンコ店を経営していて、在日だった。

イシコのパスポートを見た時、初めて、なぜあれほどまでに教師から疎まれていたのかわかった。


「昔から呼んでるから旧姓のあだ名で呼んじゃうけどさ、今名字違うんでしょ」

母からはあまり詳しい話は聞いてないらしい。

「うん、今は◯◯」

「へぇ〜、子どもさんいるの? いくつ?」

家庭のことを聞くときはさすがにトーンがさがる。


美貌と経済力があるのに、配偶者を得られなかったイシコ。

いや、それゆえに高望みをし、本当の自分を受け入れてもらえる相手に気付けなかったのかもしれない。


イシコはGW明けに飲みに行こう、と誘ってきた。

私も快く承諾した。

「Cメール送るね。メルアド書いとくね。メールちょうだいね」

私は、そう言って電話を切った。


私はすぐCメールを送った。

しかし返事は来ない。


結局酔った勢いで電話しただけかもしれない。

メールはもう来ないかもしれない。

更新

こんな時どうすればいいのだろう。

何もできない非力な自分。

結局募金するくらいしかできないのだろう。


子どもたちには、夏休みにボランティアに行こうか、と言っている。

子どもも何か手伝えることがあったら手伝いたいといっている。


いつ、なんどき、困難に立ち向かっても、強い心と人をいたわる優しい気持ちを持っていてほしい。


子どもたちはミッション系の学校なので、毎日お祈りをしている。

これまでは、

「神さま、津波に遭って苦しんでいる人々をお助けください。家族を亡くして悲しんでいる人々、家や仕事を無くして困っている人々をお助けください。心の力をなくしている人々に、勇気と希望をお与えください……。」


東日本大震災の人々への祈りだった、今は熊本の方へ向けたお祈りに変わったという。


祈りの更新はもういやだ。

シングルマザー

今週はほとんど旦那さんが、家にいなかった。

帰ってきては翌日から泊り出張、の繰り返し。


大量に夕飯を作らずにすむラッキーな日が続いた。

自分のペースで事が進む快適さ。

子どもたちも私一人なので家事をよく手伝ってくれる。


シングルマザーは経済的には大変だけど、精神的には楽な場合もあり、だと思った。


私の母は私が2才の時、父の浮気が元で離婚した。

以来母子家庭。

私には父の記憶がほとんどないが、母親が一人で頑張って育てたという記憶もない。

今と違って保育園には主食だけ持っていかねばならなかったが、母は弁当箱にご飯を詰めるのさえも面倒で、ご飯を炊きたくなかったのだと思うが、いつも園の向かいの商店で菓子パンを買って持たされていた。

恥ずかしいので、4才くらいから自分でおにぎりを作るようになった。友だちには、お母さんが握ってくれた、と嘘をついた。

家事も育児もほとんどしなかった。毎日仕事が楽しそうだった。

学校行事も入学式と最終学年の時に一度授業参観に来たきり。

私より仕事なんだな、と子どもながらに母に愛情を求める事をあきらめた。

私に無関心だった。

4才上の兄もいたが、兄は母が専業主婦時代にかわいがられて甘やかされていたので、中学に入ってから不登校になり、そのまま施設で育成されることになった。

児童相談所の判断で、母に養育能力がないと判断されたのだ。

その時、私も施設に行った方が幸せだったかもしれない。


私は、こんな母との生活を我慢し続け、一人だちすることだけを夢見て、高校卒業後、バイトでお金を貯めて一年後に上京した。

それからずっと一人暮らし。


地震が怖いので、十数年前にUターンした。

しばらく母と一緒に住んでいたが、ある日母がマンションを探してきてそこへ住めというので、家を出てまた一人暮らしを始めた。

兄もUターンして同居していたが、母に出ていけと言われ近くのアパートに引っ越した。

うちの母は、極端な性格の人なので、他人と共同生活は不可能なのだ。


離婚の原因は父の裏切り、といつも聞かされていたが、たぶん違うと思う。

父は母以外の女性に安らぎを求めたのだと思う。

結婚生活は7年でピリオド。

私は13年目に入った。

一応 母には勝てた。


母の口癖、あんたも結婚したら私の苦労がわかる。子どもを産んだらわかる。

全然わからない。母のような気持ちにはならない。

母は私が母の結婚生活を超えたので、その口癖を言わなくなった。


苦労した、苦労した、と母は言うが、結婚生活を続けるのも、なかなかこれは忍耐がいる。


互いの苦労や大変さをわかろうとしない人に、幸せな生活はない。

最後の砦

今朝旦那さんが、地雷を踏んだ。


東京出張で、夕べは10時頃帰宅。

お土産なし( ̄^ ̄)ゞ

私は旦那さんの帰宅時間を予想して直前に寝床についた。


そして今朝、シンクには旦那さんが使った茶碗が起きっぱなし。

食洗機の中の食器もそのまんま、戻してない。やっぱり…、何にもしない。


私が慌ただしく弁当と朝食の準備をしていると、

「おはよう」

旦那さんが起きてきた。

私とほぼ同じ時間に起きるが、まっすぐ洗面所へ行き朝シャン。

少ない毛に少しでもボリュームを与えるため、毎日毎日せっせとシャンプー。


ピカピカにしていても 朝にはビシャビシャ。鏡にも水滴が広範囲で飛び散っている。


私は、バタバタとキッチンを行ったり来たりしているのに、

「バシャーッ、バシャーッ」と豪快なしぶき音。

床も水浸し、ドライヤーでハゲ散らかされた猫の毛状のコシのない極細毛はとても掃除がしにくい。


そして、さっぱりした旦那さんが 一言。


「ごめん。きのうの唐揚げ、全部食べきれなかった」


「はぁ…⁈」


大食いだからたくさん作っているのに。足りないと言われないように、残してもOKなように、多くしてるのに。

全部食べれなくてごめん、だと。

私や子どもはわざと少なめに食べて我慢しているのに。

残った分は私の昼ごはんになるから遠慮なく残せと、普段から言っているのに。

一緒に食べると、人の分まで平気で食べるくせに。


「なんか少食でごめん、残しちゃってごめん」

とでもいいたいのか。


「あれ全部食べれるわけないじゃん。わざと多目に作ってるんだから! 私ら遠慮して少ししか食べてないんだから!」

言ってやった。


ちなみに旦那さん用の夕飯の献立は、

・ラザニア(一人前)

・とりの唐揚げ(300g)

・キンピラゴボウ(大きめの鉢いっぱい)

・ご飯おかわり自由


これをお腹の具合で加減しろという感じで置いていた。


残ったのは、キンピラ半分と小ぶりな唐揚げが2切れ。

キンピラも唐揚げも翌日の弁当に入れるんだから残してもらわなければ困る。(唐揚げは少しキープしてたけど)


近々確実に糖尿病になるだろう。いや、もうすでになっているかもしれない。

血圧も高く、心臓肥大で狭心症の薬も飲んでいる。

医者からは、毎回やせろと言われている。


本当に自分に甘く、だらしない。

歯医者に行く所を見た事がない。

歯石のレベルを超えた黄土色の結晶物が歯茎にびっしり、息が死ぬほど臭い。

耳かきが癖で、いつも肩にフケ状の耳垢がのっかている。

耳かきがない時は指でホジホジし続け、最後はそこらへんにあるものになすりつけている。

鼻毛が異常に出ている。


もはや共同生活は、限界の域まで達している。


加齢臭は、h&Sのスカルプ用の強力な消臭シャンプー(男性用)と、ウルトラアタックneoの洗剤のおかげでほぼ消滅。


本当に本当に限界が来たら、旦那さんの食べ残しが食べれなくなるらしい。

というか、旦那さんが触れたものを体が拒絶するらしい。


私は、もともと倹約家なので残したり捨てたりが嫌い、なので性格上まだ最後の砦は守られている。


いつか、その砦も陥落するだろう。

隣りの芝生があおく見える時…

隣りの芝生が青く見える時がある。

うちのお向かいのご一家がそう。

家族構成はうちと同じ。子どもも男女ひとりずつ、あちらは上が女の子。

子どもの年がうちより2つ、3つ上。


共働き

奥さんが夜勤のある仕事なので、旦那さんが子どもの面倒をよく見ている。


休日はともかく平日でも庭でバーベキューをしている。

すべてご主人が段取り。

一度前を通りかかったら、出来上がったご主人から「ご一緒にいかがですか」と声をかけていただいた。

ビールと豚バラを持参して混ぜてもらった。

陰気なうちの旦那さんと違い、陽気で社交的な一家。


羨ましい。



「働かなくても生活できるからいいじゃない」

など、知り合いからたまに言われるが、そんな事はない。

子どもの面倒をよく見てくれて、家事も庭仕事もバリバリしてくれるなら、

多少 稼ぎが悪くても、私は喜んで働く。


確かにうちは一馬力。

でも私が働きに出れば、確実に収入はアップする。

旦那さんの小刻みにアップしていく昇給に一喜一憂することもない。


ボーナスの金額にやきもきすることもない。

旅行だってもう少し奮発できる。

なんとか日々の生活はやりくりしているが 共働き家庭の総収入には及ばない。


仕事をしていたら自分だけの時間が持てる。頭の中をからっぽにして何かに没頭したい。


……でも今は無理。

うかうかしてると使い物にならなくなる、焦る。

何か準備だけでもしておかなければ…、でも 面倒なことは後回し、ここが私のポンコツなところ。



私が働いていたならば、料理も掃除の手抜きも許されるのか。


専業だから、旦那さんは洗面所もトイレもビシャビシャにしていいのか、

いつも私がピカピカにしておかなければならないのか、

ひとりで晩ご飯3人分食べるのか。


私はホテルのハウスキーピングじゃない。

悔しい。


旦那さんの中の傲慢さにつくづくうんざりする。


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