夕暮れ日記

引きこもり主婦です。メンタル弱めです。やらなきゃいけないことはたくさんあるのに、何もできないまま気づけば夕暮れ。そんな日々の徒然日記。(コメント欄は開けたり閉じたりします<(_ _)>)

専業主婦。
やらなきゃいけない事は山盛り。なのに気つけば夕暮れ。
18才の長男は発達障害グレーゾーン。やり場のない思いをボチボチ綴っていきます。

悲しかったこと

コメダ珈琲のグラタンは、むかーし母が連れて行ってくれた喫茶店のグラタンの味と似ていた。


その店の佇まいは、純喫茶風でドアは木製の重い片扉。通りには、uccと大きく書かれた 電気が点灯する看板があった。


初めてそこで食べたのは、マカロニグラタン。

注文してから15分くらいだろうか、ペコペコのおなかでじっと待った。

器の内側についたソースがフツフツと、まるで小さな噴火のように湯気の煙を吐いていた。


ふーふぅ言いながら、やけどしないように用心深く少しずつ口に運ぶ。



年に一度か数年に一度、母が用事があって町までついて行ったとき、運が良ければ食べられるしろものだった。


カレーやサンドイッチ、ピラフ(焼き飯)などを注文するとしかられる。

「そんな、家で食べられるの頼んでどうすんの? 家で作れないのを頼みなさい!」


どれを選んでも却下、結局家にはオーブンがなかったので、グラタンならOKということになり、そのレストランでは必ずグラタンだったのだ。


私にとっての外食=uccのグラタン。


私は、自分でグラタンを作るとき、頭の中にはあのuccのグラタンがどこか基準としてあり、そこに味が近づいていれば「おいしい」少し離れていたら失敗、そんなお手本のようなメニューだった。


先日、母親が息子の誕生日のため、家に来たので、翌日「あの思い出のグラタン」を食べさせてあげようと、コメダ珈琲に行った。


食意地がはった母は、白内障でろくに見えないのにメニューを隅から隅まで、舐め回すように見る。


そして決まって

「目が見えんけん、何書いとるかさっぱりわからん!」

(大きな写真なんだけど…。)


「この前食べたグラタンが私には懐かしい味がして、おいしいかったからグラタンにしたら? 量もほどよいし…」


母は、ちょっと不満げだったけど、それでいいといった。


私は、シェアするつもりで、カツサンドとコーヒーを注文。

カツサンドが先に来たので、一切れ手にとって「食べる?」と聞いた。

「食べる!」

無言でモクモクと食べる母。


「サクサクしておいしいね」

と私。


「サクサクしておいしいね」

と母。



母のグラタンが来た。


いつものように少し(1/3ほど)私の皿にのせる。(糖尿なので量を食べてはいけないため)


「ここのグラタン、チーズが柔らかくて一口ごとにトローっと糸ひくんよ。多分チーズがいいんやろうね」

と私。


「このグラタン、チーズが良いんやろうね、一口ごとに糸ひくね」

と母。


私が言った台詞が頭に入ってすぐ忘れるのか、最近の会話といえば、いつもこんな感じ。

私の言葉をそのままオウム返しに自分の言葉のように言う。


老化現象か。


そして、

私「このグラタン、昔お母さんが連れていってくれたuccのに似てない? 懐かしいなと思って、お母さんに食べさせようと思って連れてきたんやけど」


母「覚えてないねぇ」


私「えっ、あれだけ何回も行ったのに! ○町よ、uccの看板があったやん?!」


母「全然 覚えてない。このグラタンおいしいね」


また一つ、私の大切な思い出が消えた。


私が10才くらい、母が40 才。母が外食に連れていくことなんてめったになかったから、とても嬉しくて、ブーツやワンピースなどの一張羅を着て出かけた。


母にとっては、何ともない事でも、当時の私はとても嬉しかったのだ。

今の今まで、母もその楽しかった思い出を共有していると思っていた。


昔の事を話すと、そんな昔の事覚えてない、と一蹴される。

数日前の事をいっても覚えてないという。


数えるくらいしかない、私と母とのいい思い出は、私の単なる勘違いだったのだと気づかされる。


もう、いい思い出も悪い思い出も母とは語りたくない。


独りよがりでいいから、私が美化していたであろう思い出も これ以上、変に上書きされたくない。


こんな年になっても、いつも母が放つ一言「覚えてない」は胸に刺さる。

その一言は、今までの私の苦悩が価値のないもの、と烙印を押されたような気になる。


この負の感情の連鎖は、繋げてはいけない。自分の子が大人になった時、楽しかった記憶は私もきちんと覚えておきたい。











.

ハムちゃん用ハーネス

ハムスターがうちにやってきてから、家族全員ハムちゃんにかまいっきり。


私は、好物のひまわりの種で巣穴からおびき出す。


ハムスターは、ゴールデンという種類だったらしく、体がけっこう大きくなった。

金魚用の水槽を一時的に使っていたけど、すでに手狭。

大きめの「おうち」を物色中。


ハムちゃんと信頼関係が築ければ、手乗りハム、お散歩ハムも夢じゃない。


娘は、お散歩ハムを夢見て、すでにハーネスを準備。

↑マウスに着けてみた。(^^)



でも、なかなか道のりは遠い。

警戒したり危険を感じると、強く噛むので、ビクビク。


私が「チャロ~」と名前を呼ぶと、巣穴から出てきてくれるまでになった。

ちょっと仲良くなれたよう。

懐いてくると、かわいい。


娘から、

「太るからひまわりの種は1日1 個!」

と、きつく言われてるけど、ついつい(*^_^*)




寝ぼけ眼で起きてきたチャロ↓


早くお散歩したいなぁ…。






.

新しい家族?

娘が書道で賞をとったので、そのご褒美に…





















ハムスターが我が家にやってきた。



字がきたなくて、担任の先生から

「見た目の雰囲気からは想像できないくらい字が雑で、がっかりなんですよ」

と言われたほど字が汚かった。

絶対賞なんてとれない、とたかをくくっていたので「もし入賞したら好きなもの買ってあげるよ」と口走ってしまった。


そしたら、

「もし習字で賞もらったらハムスター飼っていい?」

と言われたので、気軽に「いいよ」と返事をしていた。



まさか、ほんとに入賞するとは…。



ジャンガリアンハムスター、生後1ヶ月。


可愛い。見てるだけで時間を忘れる。娘より母がはまりそう。












.

6年ぶりに会ったママ友

上の子が幼稚園の時のママ友(子どもの学年はちがう)に、6年ぶりに会った。


一つ前に書いた「好きになれない人」(→以後、医者夫人なので「夫人」に変更)にちょっと強引に頼まれて、ガーデニング教室にビジターで参加したら、そのママ友が生徒さんの中にいた。


私はまったく気がつかなかったけど、向こうが気づいて声をかけてくれた。


そのママ友と最後に会ったのは、お子さんのお葬式。小学校二年生で交通事故で亡くなったのだ。


幼稚園は卒園していたけど、別の

ママ友から連絡が来てお通夜に参列した。


とても悲しいお葬式で、たぶん今まで参列したお葬式の中で一番泣いたつらく悲しい式だった。

今でも思い出すと切なくて、ときよりYさん元気かなぁ、など気になっていた。


久しぶりに会ったYさんは明るくて以前のままに思えた。


私は今のお友達は、Yさんの悲しい過去の事を知らないかもしれない、と思い慎重に言葉を選んだ。


ガーデニング教室では、近況などを報告しあい、当たり障りない会話をした。二人きりの時だけ、私にしかわからない話をしてくれた。


教室を後にするとき、

「つつじさん、またね!」と笑顔で手をふってくれた。


Yさんは仕事をしたり、趣味を広げたり、毎日忙しくしているようだった。

よかったな、と思った。


またガーデニング参加しようかな、と考えていた時、LINEが来た。「夫人」からだった。


「夫人」は、Yさんの事を聞いてきた。どういう知り合いなのか、私の子と同じ年のこどもがいるのか、大変だったらしいけど何があったのか、など。


私は、お子さんの事はふれず、「幼稚園で知り合ったけど子どもの学年は違う」とだけ答え、話をそらした。


でも「夫人」とは、役員の打ち上げで、今度会うことになっている。

Yさんのいない所で、あれこれYさんの事を聞いてくるような気がする。


もちろん答える気持ちはない。

辛い体験をして頑張って前を向いているYさん、興味本位?で人が隠していることを聞き出そうとする「夫人」には、本当のことはいいたくない。


Yさんと「夫人」は二年ちかい付き合いだという。それでもこどもさんのことを言ってないのだからYさんなりに考えてのこと。

ましてや夫自慢、こども自慢、幸せオーラいっぱいの人には、言えるわけない。


ガーデニングは楽しかったので、次回も参加したいと思うけど、Yさんは、私がいたらいやだろうか、と考えたり、いや、事情を知っている人がいたら本心を言う機会があって、自分を作らなくていいのではないか(もちろん二人だけの時)と、思ったり。


人には光と影があり、表面だけで判断してはいけない。

自分の周りの人が自分と同じような人生であったとは限らない。


人生の折り返し地点を過ぎた私は、出会った人が自分には想像もつかない壮絶な過去があったかもしれない、と思いながら話をしよう、と思った。






.

ちょっと腹が立った話

だいぶ前の話。

その当時は、夫のYシャツは毎回クリーニングに出していた。

そのクリーニング店は、Yシャツ1枚100円(ハンガー吊し状態)。


娘の幼稚園と自宅との中間地点にあって便利だったので、いつも利用していた。


店の受付はいつも同じ人、60代くらいのオバサン。「いらっしゃいませ」も「ありがとうございます」も言わない無愛想な女性だった。

いつもド演歌(有線)が大音量で流れている店内、すわってポータブルテレビ(大音量)を見ている。BGMとテレビの音がうるさかった。



毎回不愉快な思いをしていたのだけど、Yシャツ100円の魅力に惹かれ、ホスピタリティには目をつぶっていた。


ある日、いつものようにYシャツをだしに行った。


自動ドアが開き、受付のカウンターまで進むけど、何の応答もない。(いつもは口をモグモグさせながら奥から出てくる)

「すいませーん! 」

大きな声で何度か呼ぶと、奥からいつものオバサンが出てきた。でも、携帯(ガラケー)でずっと誰かと話をしている。


私と目が合っても、携帯をしっかりとにぎったまま、

「ふぅん、そうなの?!」

などと相づちを打っている。

私が洗濯物とカードを出すと、携帯を首と肩に器用に挟んでハンズフリー状態にし、私の出したカードをピッとレジに通した。

ろくにYシャツのシミやホツレチェックもしない。

出てきた伝票をYシャツの上に置いて、控えの伝票とカードを私に渡す。


その間ずっと携帯電話中。誰かの相談にのっている風だった。


普通は「○月○日仕上がりです」とか一応言うのだけど、その日は電話中なので、私に対しての発言はなく、頭を不自然にかしげた体勢で電話をしながら伝票とカードを差し出す。


私の次にもお客さんが待っていたので、私は、その客に

「私が入店した時からずっと電話中なんですよ」

と、これ見よがしに、オバサンに聞こえるように言った。

でも、オバサン電話を切らない。


料金の支払い中も電話中。

私も、いつ終わるかわからない電話を待っていられないので、お金を出した。携帯を首に挟んだまま、オバサンは無言でお釣りを渡す。


5~ 7 分くらいの間ずっとお話中。


だんだん腹が立ってきて、

「あの、ちょっと失礼じゃないですか!」

と言った。

「一言も客と話さないで、ずっと電話中って。電話切ったらどうですか?」


「もう二度と来ません!」


私は、そう言って店を出た。

それでもそのオバサンは電話を切らなかった。私にも一言もなし。


私は、店を出てすぐ自宅に戻った。


そして、その店のカードに記載されている本社に電話した。

責任者を呼び出し、今起こった事を洗いざらい話した。


私は、もう二度とその店に行く気はなかったので、そのオバサンの休みの日を聞いた。

(休みの日は本社から社員が交代で入るというので、後日その日めがけてYシャツは取りに行った。)


あまりにオバサンの態度がでかいので、経営者かと思って聞いたら、パートだという。

一人者なので、突然休むこともなく、土日も入れるので便利に使っていた、という。

一人っきりで何年もしているので、段々接客に手を抜いてきたのだろうという話だった。


電話をしていると責任者が、

「私も、ものすごく腹が立ってきました。今から行ってきます」

とすぐ注意をしに行くと言った。


前から評判のよくないパートさんだったらしく、徐々にシフトを減らして数人体制にするとのことだった。

「なかなか勤務態度まではわからないから、電話いただいて感謝いたします」

とお礼を言われた。


お詫びに伺いたいとも言われたがそれは断った。


私も、長いこと生きてきて、こんな事をされたのは初めて。


そのオバサン、多分友達から電話がかかってきて、一人で暇だったから長電話していたのだろう。一旦保留にしたり、切ったりしたら自分からかけなきゃいけなくなり、電話代がもったいないから、なんとかかかってきた電話をつないだまま接客をやり過ごし、客がいなくなったらまたずっと電話するつもりだったのだろう。


でも、これはダメでしょう。


世の中、ほんとに人手不足なんだな。







.