夕暮れ日記

引きこもり主婦です。メンタル弱めです。やらなきゃいけないことはたくさんあるのに、何もできないまま気づけば夕暮れ。そんな日々の徒然日記。(コメント欄は開けたり閉じたりします<(_ _)>)

専業主婦。
やらなきゃいけない事は山盛り。なのに気つけば夕暮れ。
18才の長男は発達障害グレーゾーン。やり場のない思いをボチボチ綴っていきます。

精神的虐待の記憶

※幼少期の辛い思い出と愚痴です。興味のない方はスルーして下さい。




私の母は親としての資質がない。


私が親になってわかった。

昔から母の口癖

「あんたも親になったらわかる」


親になってわかったのは、実母のいい加減さと私に精神的な虐待をしていたこと。


母は、結婚して7年の時、父に好きな人ができ、その人と結婚するから、と離婚をした。

離婚後、私と兄は父に引き取られた。新しい継母と少し暮らしていたようだが、兄が私を連れて家出した。

5歳と2歳の幼児の逃亡はすぐに大人に保護され警察経由で実母のもとに帰された。


それから家庭裁判所で親権の変更などをし、私たちきょうだいは母に育てられることになった。


母は、私たちを育てたくて育てたのではなかったのだと思う。それならすごく腑に落ちる。


母のいうことを聞かないと、すぐ「施設に入れるよ!」と脅された。


5、6才の頃養女に出されそうになったことも思いだした。


10才位のころ、伯母家族と一緒に食事に行って、義伯父に無理やり生ビールをジョッキで飲まされたこともあった。

顔が真っ赤になりろれつが回らなくなり、千鳥足になったのを見て母は大笑いしていた。


母は、最初の子を死産しているので、それを乗り越えてから出産した兄は本当にかわいかったにちがいない。

その三年後、父とすきま風が吹いていた頃に生まれた私は「なんでこんな時に…」という思いだったと思う。

もう少し早くに父との離婚が決まっていたら私は生まれていない。


だから我が子なのに、あれほどまでにひどい事ができたのだと思う。


母には資格も技術も何もかなったので、離婚後子供を引き取ってから私が就学するまでの数年間、生活保護を受けていた。

そのことはずっと秘密にしていて「女でひとつで苦労して子供二人育てた」と恩着せがましいことばかりいっていた。

幼い私と兄がいたから、働かずして人様の税金で生活できていたのに。


働き始めると、自分の老後の心配ばかりして、私には、ほとんどお金をかけなかった。

子供にかけるお金があれば、それはすべて個人年金に回していたのだ。


衣類は、近所の人のおさがりばかり。新しい服は母の弟が買ってくれたり、職場の人の手作りのお恵みの品だった。


習い事は習字のみ。

近所だったのと、月謝が安い(300

~500円、40年前)ので唯一許したのだと思う。

その後、ピアノ、エレクトーン、バレエ、そろばん、英語など、回りの友達が通っているので、習いたいと言っても、けんもほろろに却下された。

それを今蒸し返すと「お母さん一人で働いてそんな余裕なかった」と激高する。


でも、その言葉とは裏腹に、兄の方は結構習い事をしていた。

小学生になったと同時に剣道と水泳。小学校中学年で家庭教師。

中学に入ったらテニス部、その後テニスをやめて卓球部。

テニスラケットをよく壊していたので、しょっちゅう買い換えていた。ガットもよく張り替えていた。

衣類や持ち物はいつも新品だった。

兄にはお金をかけていたと思う。

兄は、結局何一つものにならなかった。

むしろ、中3で不登校になり、家庭内暴力、児童相談所→青少年育成施設入所。


要は兄にだけ過干渉だったのだ。


私は、小学生の時 何度も自殺をしようと思った。生きているのがつらくて。

遺書を書いたこともある。


そんな時、よく妄想をした。


ある日突然きちんとした大人がやってきて

「あなたは本当は○○家のお嬢様で、手違いでとり違えられていました」

と。

きっと誰かが助けに来てくれる、と。

それから、母のことは他人のおばさんにしか思えず、赤の他人がご飯を食べさせてくれるのだから、それだけでありがたい、と思う事にした。


中学生になった私は、高校を卒業したら家を出ることばかり考えていた。

高校時代と卒業後一年間はアルバイトでお金を貯め、高校卒業一年後上京した。


一年間専門学校に通い、卒業後は出版関係に就職。出版社や広告代理店を転々とした。

楽しい独身時代だった。


生きている価値などないと思っていたけれど、なんとかまだしぶとく生きている。


子どもの頃の記憶が時折甦り、枕を濡らすことがある。こればかりは記憶がなくならない限りどうしょうもない。


子どもの教育費をケチって個人年金ばかりしていたから、現在の母は小銭を持っている。

いくつになったら年金がいくら入る、とか、毎年のように入金されるまとまったお金の勘定に余念がない。


40年前、個人年金に回すお金の一部を私のために使ってほしかった。


そのことを訴えても、絶対に母はみとめない。

離婚のせいにする。

母が生きているうちに、心からわびてくれたらどんなに気が晴れるだろうか、と思う。

きっと無理だろうけど…。







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「トッケビ」を見て

BSフジでやってたコン・ユ主演「トッケビ」(韓国ドラマ)が昨日最終回だった。


7話くらいまではDVDをレンタルしてみていたが、テレビ放送されるという情報を知ったので、テレビで見た。


コン・ユのファンなので、ただ顔を見たり声を聞くだけでとろけそうになるのだけど、内容も良くてドラマの世界に引き込まれてしまった。


日本のドラマにリメイクしたらどうだろう、と考えてみるけど、このファンタジーラブロマンスを上手に演じられる日本人俳優が思い浮かばない。


イギリス人はスパイ映画が大好きで、アメリカ人はヒーローものが好きと聞いた事がある。
日本人はなんだろう。
間違いなくファンタジーではない。


トッケビは「鬼」の事らしいけど、日本人がイメージする鬼の面影はない。
人間ではないので死なない。特殊能力が使える。
神と人間の中間的な感じ。
900年前、若き未熟な王の嫉妬により殺された武臣(コン・ユ)が恨みと無念さから「トッケビ」となり永遠の命をさずかる。
年齢は939才。何十と人の死に接するも自分は一人孤独に生きていた。
命を終えさせる方法は、自分と同じような特殊な能力を持つ女性(トッケビの花嫁)を見つけ、その女性にトッケビの胸に突き刺さったままになっている剣を引き抜いてもらうしかない。


内容はSFで非現実的なのだけど、ドラマの後半は、死をクローズアップしていて切ない。


「生まれ変わり」もテーマのひとつで、見どころもたくさんある。


ずっと毎日見ていたから「トッケビ」ロスになってしまった。




韓国ドラマは長いから、終わったときの喪失感が半端ない。



また面白いドラマ見つけよう。





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来ない人は来ない

昨日町内の運動会があった。
私は、今年子供会の役員なので、強制参加。
町内のお年寄りが主体となって、運営しているので、景品にばらつきがあり、運動会を私物化していると感じた。
モヤモヤする町内会の運動会だった。(主導する老人も高齢なので、自然消滅も遠くないと我慢する)


それよりもっと腹がたったのは、幼稚園のママ友だった監督夫人(秘密主義の八方美人)、彼女も私と同じく子供会の役員のくじを引き、平の役員になったはず。
なのに、ほとんど行事に来ない(5回中1回しか来てない。その1回も夏祭りの来客として。仕事はせずタダ飯&タダ食い。)


会議を忘れていて、電話で呼びだされることもある。
作業だけの集まりの時、彼女以外全員早めに来ていた。監督夫人が来ないので時間まで待つ。結局彼女は来ないので彼女なしで作業する。
遅刻連絡も途中参加もなし。


秘密主義の八方美人過去記事↓


50才越えていても非常識。30代若いママさんの方がよっぽと責任感がある。


昨日の運動会でも「いっつも来ない人って決まってますよね。」と不満が噴出。


おそらく、あと2回あるイベントも来ないであろう。もう来にくいだろうし、来ても完全アウェーだ。
彼女は八方美人なので、相手が拒絶の態度を少しでも見せると、そばかすとしわだらけの作り笑顔ですり寄っていく。
時には、腕を回したり肩に手を回したりして、スキンシップで相手を丸め込む。
つい親しげにされると、相手のペースに流され受け入れてしまいがち。
女が女にボディタッチしても気持ち悪いだけ。
次回、もし彼女を見つけたら遠い所に移動しよう。
役員で仲良しさんがたくさん出来たので話相手は十分。



監督夫人は私と違い、子供の学校も同じで同じ町内だから、悪い噂が回るのは時間の問題。役員さんに総スカンを食らうと、あとが大変だと思うけどなぁ。


その場を取り繕うのは上手でも、人望がなくなるのは致命的。


監督夫人に会うのも、あと2~3回。そのうち2回は来ないだろうから、実際は来年度の引き継ぎ日1回だけか。


全部 真面目に出席した私には、彼女の行動は腹立たしいことこの上ない。
でもそうやって人は人望を失ったり、人望を積み上げたりするのだ、と思った。





さよなら監督夫人! もう友だちじゃないからね。
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コナズ珈琲

夏休みも終わりに近づいた頃、娘とランチに行った。


今年オープンして存在は知っていたけど、何者かわからなかったコナズ珈琲。

どうもハワイのカフェを意識したお店のよう。

ハワイ行ったことないけど、トロピカルな雰囲気は好き。


夏休みとはいえ、平日のお昼なのに駐車場は満車。

入口にタッチパネル式の番号札自動発券機がおいてあって、人数や携帯番号などを入力する。終了すると、レシートみたいなQRコード付きの紙が出てくる。

なんと70分待ち。(12:30の時点)


近くのお店で時間つぶししながら待つ。

本来は、順番が来たら電話がかかってくるらしいが、念のためQRコードを読み取った。

すると、スマホに「呼び出し中」のメッセージが!!


慌てて店に戻り、ご案内を受けた。

店内はシートがゆったりしていて、座り心地満点。隣との距離もほどよい。BGMは、大きすぎず小さすぎず会話しやすい。


そしてお料理。

娘はパンケーキ四枚にフルーツのトッピング。


私は、お腹すいていたのでガッツリ肉ランチ! ↓チキン、ライス、ポテト、サラダ、スープ付き。


飲み物を強く薦められたけど、丁重にお断り。だって高いもん。

(ランチセットの場合飲み物一杯だけだと400円、700円だとお代わり自由になる)

この日は混んでいたので、2時間の利用制限があった。ちょっと残念。


サイドメニューのポテトは、ベイクドポテトと、フライドポテトと、マッシュポテトの中から選べた。

マッシュポテトにして正解。バターがきいてて空腹に嬉しい濃い味。

肉はボリュームがあってジューシー。ライスはスパイシーなパエリアといった感じ。


大満足な一皿だった。←いや まな板?!だった。


価格帯が高めなせいか客層がいい。店内を走り回る子ども連れはいない。大体 大人女子二人かカップル。


スタッフも可愛い人が多くて接客態度もよかった。


高いけどまた来ようと思う。

今度はコナズ珈琲、飲んでみよう。






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ちょいスカな出来事

ママ友のTさん。

私と同い年だけど、早くに子どもを生んだので先輩ママでもある。

ご主人は内科医で、今は産業医(勤務医)。


子どもの学校は医療関係者が多いけど、あまり「主人が医者で…」と自分から言う奥さまはいない。

でもこのTさんは初対面に近い段階で「パパがねぇ~…。○○さんのご主人と病院が同じで…」と突っ込んで欲しいのかペラペラ…。


Tさん自身の素性はわからないけど、おそらく24才くらいで結婚、すぐ出産→ずっと専業主婦。


子どもは長女、長男、次男の3人。長男から中学受験を始めた。

長女は、大学進学はせず美容の専門学校へ、そして美容部員となった。

ご主人や息子の自慢話はよくするけど、娘の話はあまりしない。

就職先は地元ではなく、近場の都会。一人暮らし。


Tさんは、長男きっかけで医者夫人ママ友が一気に増え、毎日セレブな習い事やお付き合いに精を出している。


ちょっと苦手なタイプ。

勉強や努力をしたのはご主人であって、Tさんじゃない。夫の立場を自分と同化させていばっている典型的な人だと思った。


そんなTさんにスカッとすることが起きた。

先日 TさんからのLINEで「今度ゆっくり話すね」といつになく物静かなメッセージが…。

一人暮らしの娘さんが体調崩されて看病に行っている、という話を聞いていたので、病気なのかな、と気になっていた。


ところがTさんに会って聞いてみたら、なんと娘さんが妊娠してつわりがひどいので介抱しに行っていた、というのだ。


妊娠がわかってからすぐ入籍したらしいけど、いわゆる「できちゃった婚」。


「おめでとう!」と祝辞を言うもTさんは無愛想で、娘の妊娠をあまり喜んでいない様子だった。

周囲には秘密にしておいて、ともいわれた。


彼女の中で「でき婚」は有り得ないことのようだ。

しきりに「次男がまだ高校生なのに」と年頃の息子の事を気にかけていた。

「私だって色々予定があるのに…。私の理想は、あと何年か先だと思ってた。この年でおばあちゃんなんて…。」


私なら嬉しいけどなぁ。早くおばあちゃんになりたい。うらやましいよ。


「あと自分が何年生きられるかわからないもん、孫の顔が見られるなんて幸せじゃない!」

私がそう言っても、納得していない様子だった。


私のような庶民と違い、おそらく彼女には世間体というものが大きくのしかかっているのだろう。


初めての子どもの結婚は、段階を経て結納から着実に進めていきたかったのか。←あくまでも親の理想。

親戚知人を招待して盛大に豪華挙式、披露宴を挙げたかったのか。←親の見栄。


でも娘さんは、好きでもない人の子どもは産まないわけで、数々の駆け引きや修羅場をかいくぐってゲットした彼氏かもしれないし。


娘さんの幸せを素直に喜べないものか。


夫自慢、息子自慢が激しかったけど、娘自慢をしなかった理由がなんとなくわかった。

娘さんは、そんな母に精一杯の抵抗として、でき婚を選んだのかもしれないな。


Tさん、感謝の気持ちを持つことが出来れば「幸せ」感じることが出来るのに。


たくさんのものを持っていることに気づいていないのは不幸かもしれない。





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